2017年大学入試センター試験問題

国語

国 語

第 1 問
次の文章は、2002年に刊行された科学論の一節である。これを読んで、後の問い(問1 ~ 6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に①~⑬番号に付してある。
また、表記を一部改めている。(配点 50)

 

  

 

 

現代社会は科学技術に依存した社会である。近代科学の成立期とされる十六世紀、十七世紀においては、そもそも[科学]という名称で認知されるような知的活動は存在せず、伝統的な自然哲学の一環としての、一部の好事家による楽しみの側面が強かった。しかし、十九世紀になると、科学研究は[科学者]という職業的専門家によって各種高等教育機関で営まれる知識生産へと変容し始める。既存の知識の改訂と拡大のみを生業とする集団を社会に組み込むことになったのである。さらに、二十世紀になり、国民国家の競争の時代になると、科学は技術的な威力と結びつくことによって、この競争の重要な戦力としての力を発揮し始める。二度にわたる世界大戦が科学ー技術の社会における位置づけを決定的にしていったのである。

 

第二次世界大戦以後、科学技術という営みの存在は膨張を続ける。プライス(注 1 )によれば、科学技術という営みは十七世紀以来、十五年で(ア)バイゾウするという速度で膨張してきており、二十世紀後半の科学技術の存在はGNP(注2)の二パーセント強の投資を要求するまでになってきているのである。現代の科学技術は、かつてのような思弁的、宇宙論的伝統に基づく自然哲学的性格を失い、A 先進国の社会体制を維持する重要な装置となってきている。

 

十九世紀から二十世紀前半にかけては科学という営みの規模は小さく、にもかかわらす技術と結びつき始めた科学ー技術は社会の諸問題を解決する能力を持っていた。「もっと科学を」というスローガンが説得力を持ち得た[所以(ゆえん)]である。しかし二十世紀後半の科学ー技術は両面価値的存在になり始める。現代の科学ー技術では、自然の仕組みを解明し、宇宙を説明するという営みの比重が下がり、実験室の中に天然では生じない条件を作り出し、そのもとでさまざまな人工物を作り出すなど、自然に介入し、操作する能力の開発に重点が移動している。その結果、永らく人類を脅かし苦しめてきた病や災害といった自然の脅威を制御できるようになってきたが、同時に、科学ー技術の作り出した人工物が人類にさまざまな災いをもたらし始めてもいるのである。科学ー技術が恐るべき速度で生み出す新知識が、われわれの日々の生活に商品や製品として放出されてくる。いわゆる「環境ホルモン(注3 )」や地球環境問題、先端医療、情報技術などがその例である。B こうして「もっと科学を」というスローガンの説得力は低下し始め、「科学が問題ではないか」という新たな意識が社会に生まれ始めているのである。

 

しかし、科学者は依然として「もっと科学を」という発想になじんでおり、このような「科学が問題ではないか」という問いかけを、科学に対する無知や誤解から生まれた情緒的反発とみなしがちである。ここからは、素人の一般市民への科学教育の充実や、科学啓蒙(けいもう)プログラムの展開という発想しか生まれないのである。

 

このような状況に一石を投じたのが科学社会学者の「コリンズ(注4)」とピンチの{ゴレム}である。ゴレムとはユダヤの神話に登場する怪物である。人間が水と土から創り出した怪物で、魔術的力を備え、日々その力を増加させつつ成長する。人間の命令に従い、人間の代わりに仕事をし、外敵から守ってくれる。しかしこの怪物は不器用で危険な存在でもあり、適切に制御しなければ主人を破壊する威力を持っている。コリンズとピンチは、現代では、科学が、全面的に悪なる存在かのどちらかのイメージに引き裂かれているという。そして、このような分裂したイメージを生んだ理由は、科学が実在と直結した無謬(むびゅう)の知識という神のイメージで捉えられてきており、科学が自らを実態以上に美化することによって過大な約束をし、それが必ずしも実現しないことが幻滅を生み出したからだという。つまり、全面的に善なる存在というイメージが科学者から振りまかれ、他方、チェルノブイリ(注5 )事故や狂犬病(注6)に象徴されるような事件によって科学への幻滅が生じ、一転して全面的に悪なる存在というイメージに変わったというのである。

 

コリンズとピンチの処方箋は、科学者が振りまいた当初の「実在と直結した無謬の知識という神のイメージ」を科学の実態に即した「不確実で失敗しがちな向こう見ずでへまをする巨人のイメージ」、つまりC ゴレムのイメージに取りかえることを主張したのである。そして、科学史から七つの具体的な実験をめぐる論争を取り上げ、近年の科学社会学研究に基づくケーススタディーを提示し、科学上の論争の終結がおよそ科学哲学者が想定するような論理的、方法論的決着ではなく、さまざまなヨウ「(イ)イン」が絡んで生じていることを明らかにしたのである。

 

彼らが扱ったケーススタディーの一例を挙げよう。一九六九年に「ウエーバー(注7)」が、十二年の歳月をかけて開発した実験装置を用いて、「重力波(注8)」の測定に成功したと発表した。これをきっかけに、追試をする研究者があらわれ、重力波の存在をめぐって論争となったのである。この論争において、実験はどのような役割を果たしていたかという点が興味深い。追試実験から、ウェーバーの結果を否定するようなデータを手に入れた科学者は、それを発表するかいなかという選択の際に「(ウ)ヤッ」カイな問題を抱え込むのである。否定的な結果を発表することは、ウェーバーの実験が誤りであり、このような大きな値の重力波は存在しないという主張をすることになる。しかし、実は批判者の追試実験の方に不備があり、本当はウェーバーの検出した重力波が存在するということが明らかになれば、この追試実験の結果によって彼は自らの実験能力の低さを公表することになる。

 

学生実験の場合には、実験をする前におおよそどのような結果になるかがわかっており、それと食い違えば実験の失敗がセン「(エ)コク」される。しかし現実の科学では必ずしもそのようなことが進まない。重力波の場合、どのような結果になれば実験は成功といえるかがわからないのである。重力波が検出されれば、実験は成功なのか、それとも重力波が検出されなければ、実験は成功なのか。しかしまさに争点は、重力波が存在するかどうかであり、そのための実験なのである。何が実験の成功といえる結果なのかを、前もって知ることはできない。重力波が存在するかどうかを知るために、「優れた検出装置を作らなければならない。しかし、その装置がなければ、何が適切な結果かということはわからない・・・・」。コリンズとピンチはこのような循環を「実験家の悪循環」と呼んでいる。

 

重力波の論争に関しては、このような悪循環が生じ、その存在を完全に否定する実験的研究は不可能であるにもかかわらず(存在、非存在の可能性がある)、結局、有力科学者の否定的発言をきっかけにして、科学者の意見が雪崩を打って否定論に傾き、それ以後、「重力波(注9)」の存在は明確に否定されたのであった。つまり、論理的には重力波の存在もしくは非存在を実験によって決着をつけられていなかったが、科学者共同体の判断は、非存在の方向で収束したということである。

 

コリンズとピンチは、このようなケーススタディーをもとに、「もっと科学を」路線を批判するものである。民主主義国家の一般市民は確かに、原子力発電所の建設をめぐって、あるいは遺伝子組み換え食品の是非についてなどさまざまな問題に対して意思表明をし、決定を下さなければならない。そしてそのためには、一般市民に科学に「ついての」知識ではなく、科学知識そのものを身につけさせるようにすべきだ、と主張される。しかしこのような論争を伴う問題の場合には、どちらの側にも科学者や技術者といった専門家がついているではないか。そしてこの種の論争が、専門家の間でさえ、ケーススタディーが明らかにしたように、よりよい実験やさらなる知識、理論の発展あるいはより明晰(めいせき)な思考などによっては必ずしも短期間に解決できないのであり、それを一般市民に期待するなどという点では、異議はないが、伝えるべきことは、科学の内容ではなく、専門家と政治やメディア、そしてわれわれとの関係についてなのだ、と。

 

科学を「実在と直結した無謬の知識という神のイメージ」から「ゴレムのイメージ」(「ほんとうの」姿)でとらえなおそうという主張は、科学を一枚岩とみなす発想を掘り崩す効果をもっている。そもそも、高エネルギー物理学、ヒトゲノム計画、古生物学、工業化学などといった一見して明らかに異なる領域をひとしなみに「科学」なぜ呼べるのであろうか、という問いかけをわれわれは真剣に考慮する時期にきている。

 

Dにもかかわらず、この議論の仕方には問題がある。コリンズとピンチは、一般市民の科学観が「実在と直結した無謬の知識という神のイメージ」であり、それを「ゴレム」に取り替えよ、それが科学の「ほんとうの」姿であり、これを認識すれば、科学至上主義の裏返しの反科学主義という病理は「(オ)イ」やされるという。しかし、「ゴレム」という科学イメージはなにも科学社会学者が初めて発見したものではない。歴史的にはポピュラーなイメージといってもよいであろう。メアリー・シェリーが『フランケンシュタインあるいは現代のプロメテウス』を出版したのは一八一八年のことなのである。その後も、スティーブンソンの『ジギル博士とハイド氏』、H・G・ウェルズの『モロー博士の島』さらにはオルダス・ハクスリーの『すばらしき新世界』など、科学を怪物にたとえ、その暴走を危惧するような小説は多数書かれており、ある程度人口に膾炙(かいしゃ)していたといえるからである。

 

結局のところ、コリンズとピンチは科学者の一枚岩という「神話」を掘り崩すのに成功はしたが、その作業のために、「一枚岩の」一般市民という描像を前提にしてしまっている。一般市民は一枚岩的に「科学は一枚岩」だと信じている、と彼らは認定しているのである。言いかえれば、科学者はもちろんのこと、一般市民も科学の「ほんとうの」姿を知らないという前提である。では誰が知っているのか。科学社会学者という答えにならざるを得ない。科学を正当に語る資格があるのは誰か、という問いに対して、コリンズとピンチは「科学社会学者である」と答える構造の議論をしてしまっているのである。

(小林傳司「科学コミニュケーション」による)

 

(注)
1 プライス ーーー デレク・プライス(一九二二年~一九八三年)。物理学者・科学史家。

 

2 GNP ーーー 国民総生産(Gross Nationa Product)。GNI(国民総所得 Gross National Income)に同じ。

 

3 環境ホルモン ーーー 環境中の科学物質で、生体内でホルモンのように作用して内分泌系をかく乱するとされるものの通称。作用については未解明の部分が多い。

 

4 コリンズとピンチ ーーー ハリー・コリンズ(一九四三年~ )とトレヴァー・ピンチ(一九五二年~ )のこと。『コレム』は、一九九三年に刊行された共著である。

 

5 チェルノブイリ原発 ーーー (一九八六年四月二十六日、旧ソ連にあったチェルノブイリ原子力発電所の四号炉で起きた溶解、爆発事故のこと。

 

6 狂牛病 ーーー BSE(Bovine Spongiform Encephathy ウシ海綿状脳症)。牛の病気。脳がスポンジ状になって起立不能に陥り、二週間から半年で死に至る。病原体に感染した家畜の肉や骨から製造された人工飼料(肉骨粉)によって発症・感染した可能性が指摘されている。一九八六年、イギリスで最初の感染牛が確認された。

 

7 ウェーバ ーーー ジョセフ・ウェーバー(一九一九年~二〇〇〇年)。物理学者。

 

8 重力波 ーーー 時空のゆがみが波となって光速で伝わる現象。一九一六年にアインシュタインがその存在を予言していた。

 

9 重力波の存在は明確に否定された ーーー ウェーバーによる検出の事実は証明されなかったが、二〇一六年、アメリカの研究チームが直接検出に成功したと発表した。

 

問1 傍線部(ア) ~ (オ)に相当する漢字を含むものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。解答番号は

 

 


 

問 2 傍線部 A 「先進国の社会体制を維持する重要な装置となってきている」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 現代の科学は、伝統的な自然哲学の一環としての知的な楽しみという性格を失い、先進国としての威信を保ち対外的に国力を顕示する手段となることで、国家の莫大(ばくだい)な経済的投資を要求する主要な分野へと変化しているということ。

 

② 現代の科学は、自然の仕組みを解明して宇宙を説明するという本来の目的から離れて、人々の暮らしを自然災害や疾病から守り、生活に必要な製品を生み出すことで、国家に奉仕し続ける任務を担うものへと変化しているということ。

 

③ 現代の科学は、「科学者」という職業的専門家による小規模な知識生産ではなくなり、為政者の厳重な管理下に置かれる国家的な事業へと拡大することで、先進国間の競争の時代を継続させる戦略の柱へと変化しているということ。

 

④ 現代の科学は、「もっと科学を」というスローガンが説得力を持っていた頃の地位を離れ、世界大戦の勝敗を決する戦力を生み出す技術となったことで、経済大国が国力を向上させるために重視する存在へと変化しているということ。

 

⑤ 現代の科学は、人間の知的活動という側面を薄れさせ、自然に介入しそれを操作する技術により実利的成果をもたらすことで、国家間の競争の中で先進国の体系的な仕組みを持続的に支える不可欠な要素へと変化しているということ。


 

問 3 傍線部 B 「こうして『もっと科学を』というスローガンの説得力は低下し始め、『科学が問題ではないか』という新たな意識が社会に生まれ始めているのである。」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 二十世紀前半までの科学は、自然の仕組みを知的に解明するとともに自然の脅威と向き合う手段を提供したが、現代における技術と結びついた科学は、自然に介入しそれを操作する能力の開発があまりにも急激で予測不可能となり、の前途に対する明白な警戒感が生じつつあるということ。

 

② 二十世紀前半までの科学は、自然哲学的な営みから発展して社会の諸問題を解決する能力を獲得したが、現代における技術と結びついた科学は、研究成果を新商品や新製品として社会ヘ一方的に放出する営利的な傾向が強まり‘その傾向に対する顕著な失望感が示されつつあるということ。

 

③ 二十世紀前半までの科学は、日常の延長上で自然の仕組みを解明することによって社会における必要度を高めたが、現代における技術と結びついた科学は、実験室の中で天然では生じない条件の下に人工物を作り出すようになり、その方法に対する端的な違和感が高まりつつあるということ。

 

④ 二十世紀前半までの科学は、その理論を応用する技術と強く結びついて日常生活に役立つものを数多く作り出したが、現代における技術と結びついた科学は‘その作り出した人工物が各種の予想外の災いをもたらすこともあり、その成果に対する全的な信頼感が揺らぎつつあるということ。

 

⑤ 二十世紀前半までの科学は、一般市民へ多くの実際的な成果を示すことによって次の段階へと貪欲に進展したが、現かいり代における技術と結びついた科学は、その新知識が市民の日常的な生活感覚から次第に乖離するようになり、その現状に対する漠然とした不安感が広がりつつあるということ。


 

問 4 傍線部 C 「ゴレムのイメージに取りかえることを主張したのである」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 全面的に善なる存在という科学に対する認識を、超人的な力を増加させつつ成長するがやがて人間に従属させるこが困難になる怪物ゴレムのイメージで捉えなおすことで、現実の科学は人間の能力の限界を超えて発展し続け将来は人類を窮地に陥れる脅威となり得る存在であると主張したということ。

 

② 全面的に善なる存在という科学に対する認識を、水と土から産み出された有益な人造物であるが不器用な面を持ちあわせている怪物ゴレムのイメージで捉えなおすことで、現実の科学は自然に介入し操作できる能力を獲得しながらもその成果を応用することが容易でない存在であると主張したということ。

 

③ 全面的に善なる存在という科学に対する認識を、魔術的力とともに日々成長して人間の役に立つが欠陥が多く危険な面も備える怪物ゴレムのイメージで捉えなおすことで、現実の科学は新知識の探求を通じて人類に寄与する一方で制困難な問題も引き起こす存在であると主張したということ。

 

④ 全面的に善なる存在という科学に対する認識を、人間の手で創り出されて万能であるが時に人間に危害を加えて失させる面を持つ怪物ゴレムのイメージで捉えなおすことで、現実の科学は神聖なものとして美化されるだけでなく時には幻滅の対象にもなり得る存在であると主張したということ。

 

⑤ 全面的に善なる存在という科学に対する認識を、主人である人間を守りもするがその人間を破壊する威力も持つ怪物ゴレムのイメージで捉えなおすことで、現実の科学は適切な制御なしにはチェルノブイリ事故や狂牛病に象徴される件を招き人類に災いをもたらす存在であると主張したということ。

 


 

 

問 5 傍線部 D 「にもかかわらず、この議論の仕方には問題がある。」とあるが、それはなぜか。その理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

 

① コリンズとピンチは、「ゴレム」という科学イメージを利用することによって、初めて科学の「ほんとうの」姿を提示科学至上主義も反科学主義も共に否定できたとするが、それ以前の多くの小説家も同様のイメージを描き出すことで、一枚の岩のように堅固な一般市民の科学観をたびたび問題にしてきたという事実を、彼らは見落としているから。

 

② コリンズとピンチは、さまざまな問題に対して一般市民自らが決定を下せるように、市民に科学をもっと伝えるべきだと主張してきたが、原子力発電所建設の是非など、実際の問題の多くは「科学者」という職業的専門家の間でも簡単に解決できないものであり、単に科学に関する知識を伝えるだけでは、市民が適切に決定を下すには十分でないから。

 

③  コリンズとピンチは、科学を裂け目のない一枚の岩のように堅固なものと見なしてきたそれまでの科学者を批判し、古生物学、工業化学などといった異なる領域を一括りに「科学」と呼ぶ態度を疑問視しているが、多くの市民の生活感覚からすれば科学はあくまでも科学であって、実際には専門家の示す科学的知見に疑問を差しはさむ余地などないから。

 

④ コリンズとピンチは、歴史的にポピュラーな「ゴレム」という科学イメージを使って科学は無謬の知識だという発想批判したが、科学者と政治家やメディア、そして一般市民との関係について人々に伝えるべきだという二人の主張も、一般市民は科学の「ほんとうの」姿を知らない存在だと決めつける点において、科学者と似た見方であるから。

 

⑤ コリンズとピンチは、これまでの科学者が振りまいた一枚の岩のように堅固な科学イメージを突き崩すのに成功したが、彼らのような科学社会学者は、科学に「ついての」知識の重要性を強調するばかりで、科学知識そのものを十分に身につけていないため、科学を正当に語る立場に基づいて一般市民を啓蒙していくことなどできないから。


 

 

問 6 この文章の表現と構成・展開について、次の(i)・(ii)の問いに答えよ。

 

(i) この文章の第1 ~ 8段落の表現に関する説明として適当でないものを、次の①~④のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 第1段落の「『科学者』という職業的専門家」という表現は、「科学者」が二十世紀より前の時代では一般的な概なかったということを、かぎ括弧をつけ、「という」を用いて言いかえることによって示している。

 

② 第5段落の「このような状況に一石を投じた」という表現は、コリンズとピンチの共著『コレム』の主張が当時の状況に問題を投げかけ、反響を呼んだものとして筆者が位置づけているということを、慣用句によって示している。

 

③ 第6段落の「コリンズとピンチの処方箋」という表現は、筆者が当時の状況を病理と捉えたうえで、二人の主張が極端な対症療法であると見なされていたということを、医療に関わる用語を用いたたとえによって示している。

 

④  第8段落の「優れた検出装置を~。しかし ~わからない。しかし ~わからない……」という表現は、思考が循環してしまっているということを、逆接の言葉の繰り返しと末尾の記号によって示している。

 

(ii) この文章の構成・展開に関する説明として適当でないものを、次の①~④のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 第1 ~ 3段落では十六世紀から二十世紀にかけての科学に関する諸状況を時系列的に述べ、第 4 段落ではその諸状況が科学者の高慢な認識を招いたと結論づけてここまでを総括している。

 

② 第5 ~ 6段落ではコリンズとピンチの共著『コレム』の趣旨と主張をこの文章の論点として提示し、第7 ~ 9段落で彼らの取り上げたケーススタディーの一例を紹介している。

 

③ 第 10 段落ではコリンズとピンチの説明を追いながら彼らの主張を確認し、第 11 段落では現代の科学における多様な領域の存在を踏まえつつ、彼らの主張の意義を確認している。
④ 第 12 段落ではコリンズとピンチの議論の仕方に問題のあることを指摘した後に具体的な事例を述べ、第 13 段落ではコリンズとピンチの主張の実質を確認して、筆者の見解を述べている。

 


 

第 2 問 
次の文章は、野上弥生子(のがみやえこ)の小説「秋の一日」(一九一二年発表)の一節である。一昨年の秋、夫が旅行の土産にあけびの(つる)で編んだ手提げ籠を買ってきた。直子は病床からそれを眺め、快復したらその中に好きな物を入れてピクニックに出掛けることを楽しみにしていた。本文はその続きの部分である。これを読んで、後の問い(問1 ~ 6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の上に行数を付してある。また、表記を一部改めている。(配点 50)

 

「此秋になったら坊やも少しはあんよして行けるだろ、小い靴を穿(は)かして一緒に連れて行こう。
とこんな事を楽しんだ。けれどもその秋も籠は一度も用いらるる事なく戸棚に(つ)られてあった。直子は秋になると屹度(きっと)何かしら病気をするのであった。その癖一年のうちに秋は彼女の最も好きな季節で、その自然の風物は一枚の木の葉でも一粒の露でも、涙の出るような涼い感銘を催させる場合が多いけれども、彼女は大抵それを病床から眺めねばならぬのである。ところが今年の秋は如何(どう)したせいか大変健かで、虫歯―つ痛まずぴんぴんして暮らした。直子は明け暮れ軽快な心持ちで、もう赤ん坊を脱して(い)ッばしいたずら小僧の資格を備えて来た子供を相手に遊び暮らしながら、毎年よそに見はずした秋の遊び場のそこ此処を思いやったが、そうなると又特別に行き度いと思う処もなかった。
 その内「文部省(注1)」の絵の展覧会が始まって、世の中は一しきりその取沙汰(とりざた)(にぎ)やかであった。直子の家では主人が絵ずきなので早々見に行って来て、気に入った四五枚の絵の調子や構図の模様などをあらまし話してくれた。二三の知った画家の出した絵の様子なども聞いた。直子は去年も一昨年も見なかったので、今年は早く行って見ようと思った。けれども長い間の望みの如く、彼のあけび細工の籠に好きな食べものを入れてぶらぶら遊びながらと(い)う事を思いついたのは、(その)前日の全く偶然な出来心でそうあった。直子は夕方の明るく暮れ行く西の空に、明日の晴れやかな秋日和を想像して左様(そう)しようと思った。
「それが(よ)い。展覧会は込むだろうから朝早くに出掛けて、すんだら上野から何処(どこ)か静かな田舎に行く事にしよう。」とそう思うと、A 誠に物珍らしい楽しい事が急に湧いたような気がして、直子は遠足を待つ小学生のような心で明日を待った。
あけの日は何時もより早目に起きて、海苔(のり)を巻いたり焼き結飯(むすび)(つく)ったり「女中(注2)」を相手に忙しく立ち働いた。支度が出来ていよいよ籠に詰め終った時には、直子はただ訳もなく嬉しく満足であった。菓子も入れた。無くてはならぬものと思った柿も、きざ柿の見事なのを四つ五つ入れた。提げて見ると随分重かった。
「それをみんな食べて来る気かい。」
と云って家の人々は笑った。
上野の山は(か)なり久しぶりであった。直子は新らしい帽子、新らしい前掛けに可愛らしく装われた子供の手を引いて、人気の(ま)れな朝の公園の並木道を竹の台の方へ歩いて行った。小路(こみち)這入(はい)ると落葉(おちば)が多かった。灰色、茶色、鈍びた朱色、種々な木の葉の(やや)焦げた芝の縁や古い木の根方などに(から)びつつ集まっているのが、歩みの下にさくさくと鳴るのも秋の公園の(みち)らしかった。其処(そこ)此処の立ち木も大抵葉少ななあらわな姿になって、園内は遠くの向うまで明るく広々と見渡された。その葉のない(さび)しい木の枝に大きな嗚が来て、ぽっつりと黒く留まってるのが‘町中の屋根の端なぞにたまたま見るものなどよりもずっと大きく、ずっと黒く、異様な鳥のように直子の目に映った。その鴉が枝からかァかァかァと鳴いて立つと、子供も

 

「かァかァかァ。」

 

と云って口真似(まね)をした。女中もその度に子供と一緒にかァかァかァと真似をした。両大師前の路を古びた寺の土塀に添うて左に(まわ)ると、急に賑やかな楽器の音が聞えて並木―つ越した音楽堂の前に大勢の人だかりが見えた。何処か小学校の運動会と見えて赤い旗などをくも手に引き廻した中に、沢山な子供の群れがいた。近づいて見ると本郷区何々と染めぬいた大きい赤旗が立って、長方形に取り囲まれた見物人の人垣の中に今小さい一群れの子供が遊戯を始めているところであった。赤旗の下にある一張りの白いテントの内からは、ピアノ音がはずみ立って響いた。くたびれて女中に(おぶ)さった子供は、初めて見る此珍らしい踊りの群れを、(ア)(あ)っけに取られた顔をして熱心に眺めた。直子も何年ぶりかでこんな光景を見たので、子供に劣らぬもの珍らしい心を(もつ)て立ち留まって眺めていたが、五分(ばか)りも見ている間に、ふと訳もない涙が上瞼(うわまぶた)の内から熱くにじみ出して来た。訳もない涙。直子はこの涙が久しく癖になった。何に出る涙か知らぬ。何に感じたと気のつく前に、ただ流れ出る涙であった。なんでもない朝夕の立ち居の間にも不図(ふと)この涙におそわれる事があった。子供に乳房を与えながら、その清らかなまじめな瞳を見詰めている内に(あふ)るる涙のとどめられなくなる時もあった。可愛いと云うのか、悲しいと云うのか、美しいからか、清らかな故にか、なんにも知らぬ。今目の前に踊る小さい子供の群れ、秋晴(あきばれ)の空のま下に、透明な黄色い光線の中をただ小鳥のように魚のように、手を動かしたり足をあげたりしている、ただその有様が胸に沿むのである。直子はそんな心持から女中の肩を乗り出して眺め入ってる自分の子供を顧みると、我知らず微笑まれたがB この微笑の底にはいつでも涙に変る或物が沢山隠れているような気がした。
此涙の後に(うか)ぶ、いつもの甘い悲しみを引いた安らかな心は、落ち着いて絵を見て歩りくのに丁度(ちょうど)適した心持ちであった。こう云うと一っぱし見る目のついた人のようだけれども、直子は本統(ほんとう)(え)の事などは何にも知らぬのである。ただ好きと云う事以外には、家で画の話を聞く機会が多いと云う事以外には、画の具の名さえ(くわ)しくは知らぬ素人である。「陳列(注4)」替えになった三越を見に行くのと余り大した違いのない見物人の一人である。家を出る時、子供連れで初めから一枚一枚丁寧に見て行っては大変だから、余り疲れぬ内に西洋画の方に行けと云いつかっていたから、直子は其言葉に従って最初の日本画の右左に美しい彩色の中を通りぬけて奥の西洋画の(へや)に急いで行こうとした。其間にも非常に画の好きな此二つの自分の子供が、朝夕家の人々から書いて貰う、(はと)の画、犬の画、猫の画、汽車の画などの粗い鉛筆画に引き代えて、こうした赤や青や黄や紫やいろいろな画の具を塗った美しい大きな画を、どんな顔をして眺めるだろうか、と云う事に注目する事は怠らなかった。子供は女中の背中からさもさも真面目な顔つきをして左右の絵の壁を眺め廻した。そしてたまたま自分の知った動物とか鳥とか花とかの形を見出した時には、非常に満足な笑い方をしたが、彫刻の並んだ明るい広い室に這入った時に、女の裸体像を見つけては、

 

「おっぱい、おっばい。」

 

とさも(なつか)しそうに(ゆびさ)しをするのには直子も女中も一緒に笑い出した。まだ朝なのでこうした戯れも誰の邪魔にもならぬ(くら)い入場者のかげは乏しかったのである。どの室もひっそりとして寂しく、高い磨りガラスの天井、白い柱、棕梠(しゅろ)の樹の暗緑色の葉、こう云うものの間に漂う真珠色の柔らかい(いぶ)したような光線の中に、絵画も彫刻も、暫時うるさい「品定め」から免れた(よろこ)びを歌いながら、安らかに休息してるかのように見えた。「瓦焼き」の前に来た時‘直子は此画に対して聞かされた、当て気のない清らかな感情の溢れている、円満な真率な矢張り作者の顔の(のぞ)いてる画、と云う様な批評の声を再び思い(おこ)して見た。(しか)して彼の(あお)い海から、二つの「瓦釜(注5)」から、左側の草屋根から、其前に働く男から、路ばたの子供から、花畑の(あか)い花、白い花から、これらすべての上に(みなぎ)る明るい暖かそうな日光から、その声を探って見て決して失望はしなかった。けれども一二十分程前会場の前の小さい踊りの群れを見た時のような(あや)しい胸のせまりはなかった。ただ安らかに気持ちよく見られた。そして不図先日仏蘭西(フランス)から帰った画家が持って来て主人の書斎の壁にピンで止めたシャヴァンヌの「芸術と自然の中間」とか云う銅版画を思い出した。「幸ある朝(注7)」の前に立った時には、直子はいろいろ取り集めたような動揺した感情の(もと)にあった。けれどもそれは其画とは全く関係のない事で、ただ其画家と其義妹(いもうと)にあたる直子の古い学校友達との間につながる無邪気な昔話であった。其友達は淑子さんと云って直子などよりも二級上にいた姉さん分であったけれども、同じ道筋の通学生で、親しいお仲間であった。数学の飛び抜けて(うま)い人だったので、直子などの二三人の出来ない連中は、少し面倒な宿題でも出ると、もう考えるより先に淑子さんに頼んで解いて貰っては、それをめいめいのノートに写して行った。少し頑固な点のある位し(イ)生(き)一本なので、時とすると衝突して喧嘩(けんか)をした。そんな時にはむきになってまっ青な顔をして怒る人であった。それでも正直な無邪気な方なので直ぐ仲直りは出来た。
話は(あ)る暑中休暇の事であった。そう云う風な三四人の友達がよって、午前(だ)けいろいろな学科の復習をしたり、編み物をしたり、又新らしい書物を読んだりする小さい会のようなものを椿って、二週間許り有益な楽しい日を作り度いと云う相談が出来た。勿論(もちろん)淑子さんも其お仲間の(つも)りでいると、

 

「私は駄目よ。」

 

と云う意外な申出(もうしい)でに皆んな当てが外れた。
「淑子さんが這入って下さらなくちゃ何にも出来なくなるわ。避暑にでも入らっしゃるの。」
と聞くと、
「左様じゃないんですけども、この夏は午前だけ是非用事があるんですもの。」
と云ってどうしても聞き入れないので、
(はな)ッからそんな方が出ては屹度長続きはしないから、いっそ止めましょうよ。」
とおしまいにはこんな(ウ)あてつけがましいお転婆を云って止めてしまった。その日一緒につれ立って帰る時、淑子さんは直子に(むか)って、
「私全く困ったわ。みんな怒ったでしょうねえ。でもこれからお休みになると毎日義兄(あに)の家に通わなくちゃならない事があるんですもの。」
と云った。義兄と云うのはこの画家の事であった。直子は油画でも始めるのかと「もって(注8」)尋ねて見ると、
「まさか。」
とにやにやして、
「今に秋になれば(わか)る事。」
と謎のような言葉を残して別れた。暑中休暇がすんで秋になって、おいおい画の季節が来た時「白馬(注9)」会が(ひ)らけた。直子の友達仲間は例になって毎年淑子さんから貰う招待券でみんなして行って見ると驚いた。淑子さんが画になっているのであった。確か「造花」とか云う題であったと思う。大きな模様の浴衣を着た淑子さんが椅子に腰かけて、何か桃色の花を拵ってる処の画なのであった。みんな会話の時などを思い(あた)った。そして出し抜かれたような、珍らしい賑やかな心持ちになって淑子さんを探すと、今まで傍にいた人が遠くの向うの室に逃げて此方を見てにこにこ笑って立っていた。直子は今「幸ある朝」の前に立って丁度その頃の事がいろいろ思い出されたのであった。淑子さんはそれから卒業すると間もなくお嫁に行って、そして間もなく亡くなられた。今はもうこの世にない人である。(かれ)「造花」の画のカンヴァスから(こ)のカンヴァスの間にはかれこれ十年近くの長い日が挟まっているのだけれども、ちっともそんな気はしない。ほんの昨日の出来事で、今にもあの快活な紅い頬をしたお転婆な遊び友達の群れが、どやどやと此室に流れ込んで来そうな気がする。そして其中に交じる自分は、ひとり画の前に立つ此自分ではなくって全く違った別の人のような気がする。直子はその親しい影の他人を正面に見据えて見て、笑い度いような冷やかしたいような且憫(かつあわれ)み度いような気がした。而してふり返る度にうつる過去の姿の、如何にも価なく見すぼらしいのを悲しんだ。直子はCこうした雲のような追懐に封じられてる内に、突然けたたましい子供の泣き声が耳に入った。驚いて夢から覚めたように声の方に行くと向うの室の棕梠の(かげ)に女中に抱かれて子供は大声をあげて泣いている。如何したのかと思ったら、「あの虎が(こわ)いってお泣きになりましたので。」
と女中は(注10)不折(ふせつ)」の大きな画を見ながら云って、
「もう虎はおりません。あちらに逃げて仕舞いました。」
となだめすかした。直子は急に(たま)らなく可笑(おか)しくなったが子供は矢張り、
「とや、とや。」
と云って泣くので、
「じゃもう出ましょう。虎うううが居ちゃ大変だからね。」と大急ぎで出口に廻った。

 

(注) 
1 文部省の絵の展覧会ーーー 一九〇七年に始まった文部省美術展覧会のこと。日本画・洋画・彫刻の三部構成で行われた。

 

2 女中ーーー ここでは一般の家に雇われて家事手伝いなどをする女性。当時の呼び名。

 

3 きざ柿ーーー 木についたまま熟し、甘くなる柿。

 

4 陳列替えになった三越ーーー 百貨店の三越は、豪華な商品をショーケースに陳列し、定期的に展示品を替えていた。

 

5 瓦釜ーーー 瓦窯。瓦を焼くためのかまど。

 

6 シャヴァンヌーーー ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(一八二四~一八九八)。フランスの画家。

 

7 「幸ある朝」ーーー 絵の題名。藤島武二(一八六七~一九四三)に同名の作品がある。この後に出てくる「造花」も同じ。

 

8 もってーーー 「思って」に同じ。

 

9 白馬会が開らけたーーー 白馬会は明治期の洋画の美術団体。その展覧会が始まったということ。

 

10 不折ーーー 中村不折(一八六六~一九四三)。日本の画家・書家。

 

 

問 1 傍線部(ア)~(ウ)の本文中における意味として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ―つずつ選べ。解答番号は

 


 

問 2 傍線部A「誠に物(めず)らしい楽しい事が急に湧いたような気がして」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① この秋はそれまでの数年間と違って体調がよく、籠を持ってどこかへ出掛けたいと考えていたところ、絵の鑑賞を夫から勧められてにわかに興味を覚え、子供と一緒に絵を見ることが待ち遠しくなったということ。

 

② 長い間患っていた病気が治り、子供も自分で歩けるほど成長しているので一緒に外出したいと思っていたところ、翌日は秋晴れのようだから、全快を実感できる絶好の日になるとふと思いついて、心が弾んだということ。

 

③ 珍しく秋に体調がよく、子供とどこかへ出掛けたいのに行き先がないと悩んでいたところ、夫の話から久しぶりに絵の展覧会に行こうとはたと思いつき、手頃な目的地が決まって楽しみになったというこ。

 

④ 籠を持って子供と出掛けたいと思いながら、適当な行き先が思い当たらずにいたところ、翌日は秋晴れになりそうだから、展覧会の絵を見た後に郊外へ出掛ければいいとふいに気がついて、うれしくなったということ。

 

⑤ 展覧会の絵を早く見に行きたかったが、子供は退屈するのではないかとためらっていたところ、絵を見た後にどこか静かな田舎へ行けば子供も喜ぶだろうと突然気づいて、晴れやかな気持ちになったということ。

 


 

 

問 3 傍線部B「この微笑の底にはいつでも涙に変(かわ)る或物(あるもの)が沢山隠れているような気がした」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 思わずもらした微笑は、身を乗り出して運動会を見ている子供の様子に反応したものだが、そこには病弱な自分がいつも心弱さから流す涙と表裏一体のものがあると感じたということ。
② 思わずもらした微笑は、小学生たちの踊る姿に驚く子供の様子に反応したものだが、そこには無邪気な子供の将来を思う不安から流す涙につながるものがあると感じたということ。

 

③ 思わずもらした微笑は、子供の振る舞いのかわいらしさに反応したものだが、そこには純真さをいつまでも保ってほしいと願うあまりに流れる涙に結びつくものがあると感じたということ。

 

④ 思わずもらした微笑は、幸せそうな子供の様子に反応したものだが、そこにはこれまで自分がさまざまな苦労をして流した涙の記憶と切り離せないものがあると感じたということ。

 

⑤ 思わずもらした微笑は、子供が運動会を見つめる姿に反応したものだが、そこには純粋なものに心を動かされてひとりでにあふれ出す涙に通じるものがあると感じたということ。

 


 

 

問 4 傍線部C「こうした雲のような追懐に封じられてる」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 絵を見たことをきっかけに、淑子さんや友人たちと同じように無邪気で活発だった自分が、ささいなことにも心を動かされていたことを思い出した。それに引きかえ、長い間の病気が自分の快活な気質をくもらせてしまったことに気づき、沈んだ気持ちに陥っている。

 

② 絵を見たことをきっかけに、淑子さんをはじめ女学校時代の友人たちとの思い出が次から次へと湧き上がってきた。当時のことは鮮やかに思い出されるのに淑子さんはすでに亡く、自分自身も変化していることに気づかされて、もの思いから抜け出すことができずにいる。

 

③ 絵を見たことをきっかけに、親しい友人であった淑子さんと自分たちとの感情がすれ違ってしまった出来事を思い出した。淑子さんと二度と会うことができなくなった今となっては、慕わしさが次々と湧き起こるとともに当時の未熟さが情けなく思われて、後悔の念に胸がふさがれている。

 

④ 絵を見たことをきっかけに、女学校の頃の出来事や友人たちの姿がとりとめもなく次々に浮かんできた。しかし、すでに十年近い時間が過ぎてしまい、もうこの世にいない淑子さんの姿がかすんでしまっていることに気づいて、懸命に思い出そうと努めている。

 

⑤ 絵を見たことをきっかけに、淑子さんが自分たちに仕掛けたかわいらしい謎によって引き起こされた、さまざまな感情がよみがえり、ふくれ上がってきた。それをたどり直すことで、ささやかな日常を楽しむことができた女学生の頃の感覚を懐かしみ、取り戻したいという思いにとらわれている。

 


 

 

問 5 本文には、自分の子供の様子を見守る直子の心情が随所に描かれている。それぞれの場面の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 子供が歩き出すことを直子が想像したり、成長していたずらもするようになったことが示されたりする場面には、子供を見守り続ける直子の心情が描かれている。そこでは、念願だった秋のピクニックを計画する余裕もないほどに、子育てに熱中する直子の母としての自覚が印象づけられている。

 

② 「かァかァかァ。」と鴻の口まねをするなど、目にしたものに子供が無邪気に反応する場面には、子供とは異なる思いでそれらを眺める直子の心の動きが描かれている。そこでは、長い間病床についていたために、ささいなことにも暗い影を見てしまう直子の不安な感情が暗示されている。

 

③ 運動会の小学生たちを子供が眺める場面には、その様子を注意深く見守ろうとする直子の心情が描かれている。そこでは、直子には見慣れたものである秋の風物が、子供の新鮮な心の動きによって目新しいものになっている様が表されている。

 

④ 初めて接する美術品を子供が眺めている場面には、その反応を見守ろうとする直子の心情が描かれている。そこでは、美術品の中に自分の知っているものを見つけた子供が無邪気な反応を示す様を、周囲への気兼ねなく楽しむ直子ののびやかな気分が表されている。

 

⑤ 「とや、とや。」と言って子供が急に泣き出した場面には、自分の思いよりも子供のことを優先する直子の心の動きが描かれている。そこでは、突然現実に引き戻された直子が、娘時代はもはや遠くなってしまったと嘆く様が表されている。

 


 

 

問 6 この文章の表現に関する説明として適当でないものを、次の①~⑥のうちから二つ選べ。ただし、解答の順序は問わない。解答番号は

 

①  語句に付された傍点には、共通してその語を目立たせる働きがあるが、1行目「あんよ」、24行目「あらわ」のように、その前後の連続するひらがな表記から、その語を識別しやすくする効果もある。

 

② 22行目以降の落葉や46行目以降の日本画の描写には、さまざまな色彩語が用いられている。前者については、さらに擬音語が加えられ、視覚・聴覚の両面から表現されている。

 

③ 38行目「透明な黄色い光線」、55行目「真珠色の柔らかい燻したような光線」のように、秋晴れの様子が室内外に差す光の色を通して表現されている。

 

④  43行目「直子は本統(ほんとう)は画の事などは何にも知らぬのである」、44行目「画の具の名さえ委しくは知らぬ素人である」は、直子の無知を指摘し、突き放そうとする表現である。

 

⑤  55行目「暫時うるさい『品定め』から免れた(よろこ)びを歌いながら、安らかに休息してるかのように見えた」は、絵画や彫刻にかたどられた人たちの、穏やかな中にも生き生きとした姿を表現したものである。

 

⑥ 直子が、亡くなった淑子のことを回想する68行目以降の場面では、女学生時代の会話が再現されている。これによって、彼女とのやり取りが昨日のことのように思い出されたことが表現されている。

 


 

 

第 3 問 
次の文章は『木草(きぐさ)物語』の一節で、主人公の菊君(本文では「君」)が側近の蔵人(くろうど)(本文では「(あるじ)」)の屋敷を訪れた場る。これを読んで、後の問い(問1 ~ 6)に答えよ。(配点 50)

 

にはかのことなれば、主は「(注1)まうけもしあへず、いとかたじけなき御座(おまし)なりや」と、「こゆ(注2)」るぎのいそぎ、さかな求めて、御供の人々もてなし騒ぐに、君は「涼しきかたに」とて端近う寄り(ふ)し、うち乱れ(たま)へる御様、所柄はまいてたぐひなう見え給ふ。隣といふもいと近う、はかなき(注3)透垣(すいがい)などしわたしたるに、夕顔の花の所せう咲きかかりたる、目(な)れ給はaぬものから、をかしと見給ふ。やや暮れかかる露の光もまがふ色なきを、おりたちてこの花二房とり給へるに、透垣の少し空きたるよりさしのぞき給へば、尼のすみかと見えて、(注4)閼伽棚(あかたな)にはかなき草の花など摘み散らしたるを、五十(いそじ)ばかりの尼の(い)できて、水すすぎなどす。花皿(注5)数珠(すず)の引きやられて、さらさらと鳴りたるもいとあはれなるに、また奥の方よりほのかにゐざり出づる人あり。年のほど、二十(はたち)ばかりと見えて、いと白うささやかなるが、髪のすそ、居丈(ゐたけ)ばかりにこちたく広ごりたるは、これも尼bにやあらむ、たそかれ時のそらめに、よくも見わき給はず。片手に(きやう)持てるが、何ごとやらむ、この老尼(おいあま)にささやきてうち(ゑ)みたるも、かかる(注6)(むくら)の中には(ア)にげなきまで、あてにらうたげなり。いと若きに、何ばかりの心をおこしてかくはそむきcぬらむと、はかなきことに御心とまる癖なれば、いとあはれと見捨てがたう(おぼ)す。
主、御果物などさるべきさまに持て出でて、「これをだに」と、(注7)経営(けいめい)し騒ぐに、入らせ給うても見入れ給はず。いとあはれなる人を見つるかな、尼ならずは、見ではえやむまじきA御心地して、人なきひまに御前にさぶらふ(わらは)に問ひ給ふ。「この隣なる人はいかなるものぞ。知りたりや」とのたまへば、「主のはらからの尼となむ申し(はべ)りしが、月頃山里に住み侍るを、この頃あからさまにここに出でものして、君のかくにはかに渡らせ給ひたる、折悪(をりあ)しとて、主はいみじうむつかり侍る」と聞こゆ。「その尼は、年はいくつばかりにか」と、なほ問ひ給へば、「五十あまりにもやなり侍らむ。娘のいと若きも、同じさまに世をそむきて、とうけたまはりしは、まことにや侍らむ。身のほどよりはいやしげなくて、こよなう思ひ上がりたる人ゆゑ、おほくは世をも(う)んじ果て侍るとかや。げに仏に仕ふる心高さはいみじく侍る」とてうち笑ふ。「あはれのことや。さばかり思ひとりしあたりに、常なき世の物語も(イ)聞こえまほしき心地するを、うちつけなるそぞろごとも罪深かるべけれど、いかがいふぞ、こころみに消息(せうそこ)伝へてむや」とて、(注8)御畳紙(たたみがみ)に、X 「露かかる心もはかなたそかれにほの見し宿の花の夕顔」童は心も得ず、あるやうあらむと思ひて、(ふところ)に入れて行きぬ。なごりもうちながめておはするに、人々、御前に参り、主も「つれづれにおはしまさむ」とて、さまざま御物語など聞こゆるほど、夜もいたく更け行けば、君はかの御返しのいとゆかしきに、あやにくなる人しげさをわびしう思せば、B眠たげにもてない給うて寄り臥し給へば、人々、御前に「いざ、とく臥し給ひdね」とて、主もすべり入りぬ。からうじて童の帰り参りたれば、「いかにぞ」と問ひ給ふに、「『すべてかかる御消息伝へうけたまはるべき人も侍らず。所違(ところたが)ヘにや』と、かの老尼なむ、ことの外に聞こえし」とて、Y『世をそむく葎の宿のあやしきに見しやいかなる花の夕顔かく申させ給へ』と、おぼめき侍りしかばなむ、帰り参りたる」と聞こゆるに、かひなきものから、ことわりと思し返すに、寝られ給はず。(ウ)あやしう、らうたかりし面影の、夢ならeぬ枕上(まくらがみ)につと添ひたる御心地して、間近けれども(注9)とひとりごち給ふ。

 

 

(注)
1 御まうけもしあへず、いとかたじけなき御座なりや ーーー 十分なもてなしができずに、蔵人が恐縮していることを表す。

 

2 こゆるぎのいそぎ ーーー 急いで。「こゆるぎのいそ」は神奈川県大磯あたりの海浜。「いそぎ」は「磯」と「急ぎ」の掛詞(かけことば)

 

3 透垣 ーーー 竹や板などで間を透かして作った垣。

 

4 関伽棚 ーーー 仏に供えるための水や花を置く棚。

 

5 花皿 ーーー 花を入れる器。

 

6 葎 ーーー (つる)状の雑草のことで、手入れのされていない住みかのたとえ。ここでは、隣家が質素な様子であることを表す。

 

7 経営 ーーー 一世話や準備などをすること。

 

8 畳紙 ーーー 折りたたんで懐に入れておく紙。

 

9  間近けれども ーーー 「人知れぬ思ひやなぞと葦垣(あしがき)の間近けれども逢ふよしのなき」という古歌を踏まえ、恋しい人の近くにいながら、逢えないつらさをいう。

 

 

問 1 傍線部(ア)~(ウ)の解釈として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ―つずつ選べ。解答番号は

 


 

問 2 波線部 a ~ e の助動詞を、意味によって三つに分けると、どのようになるか。その組合せとして最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 〔 a 〕 と 〔 b c e 〕 と 〔 d 〕

 

② 〔 a 〕 と 〔 b e 〕 と 〔 c d 〕

 

③ 〔 a c e 〕 と 〔 b 〕 と 〔 d 〕

 

④ 〔 a d 〕 と 〔 b 〕 と 〔 c e 〕

 

⑤ 〔 a e 〕 と 〔 b 〕 と 〔 c d 〕

 


 

問 3 傍線部A「御心地」とあるが、その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① うらさびしい家にいる二人の尼の姿を見て、どういう事情で出家したのか確かめずにはいられない菊君の好奇心。

 

② 隣家にいる二十歳くらいの女性の姿を垣間(かいま)見て、尼であるらしいとは思いながらも湧き上がってくる菊君の恋心。

 

③ 突然やって来た菊君にとまどいながらも、うまく接待をして、良い身分に取り立ててもらおうとする蔵人の野心。

 

④ 菊君の来訪を喜びつつも、隣家にいる身内の女たちに菊君が言い寄りはしないか心配でたまらない蔵人の警戒心。

 

⑤ 菊君の姿を目にして、娘にとっては尼として生きるより彼と結婚する方が幸せではないかと思案する老尼の親心。

 


 

問 4 傍線部B「眠たげにもてない給うて」とあるが、その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 菊君は、老尼の娘と恋文を交わそうとしていたが、蔵人たちがそうした菊君の行動を警戒してそばから離れないので、わざと眠そうなふりをして彼らを油断させようとした。

 

② 菊君は、童を隣家へ遣わして、その帰りをひそかに待っていたが、蔵人たちがなかなか自分のそばから離れようとしないので、人々を遠ざけるために眠そうなそぶりを見せた。

 

③ 菊君は、老尼の娘からの返事が待ちきれず、こっそり蔵人の屋敷を抜け出して娘のもとに忍び込もうと考えたため、いかにも眠そうなふりをして周囲の人を退かせようとした。

 

④ 菊君は、忙しく立ち働く蔵人の様子を見て、突然やって来た自分を接待するために一所懸命なのだろうと察し、早く解放してあげようと気を利かせて、眠くなったふりをした。

 

⑤ 菊君は、慣れない他人の家にいることで気疲れをしていたので、夜遅くになってもまだ歓迎の宴会を続けようとする蔵人に、早く眠りにつきたいということを伝えようとした。

 


 

問 5 X ・ Yの和歌に関する説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① X の歌の「露」は、菊君の恋がはかないものであることを表している。Y の歌は、そんな頼りない気持ちであるならば、一時の感傷に過ぎないのだろう、と切り返している。

 

② X の歌の「心」は、老尼の娘に恋する菊君の心情を指している。Y の歌は、恋は仏道修行の妨げになるので、残念ながらあなたの気持ちには応えられない、と切り返している。

 

③ X の歌の「たそかれ」は、菊君が老尼の娘を見初めた夕暮れ時を指している。Y の歌は、夕暮れ時は怪しいことが起こるので、何かに惑わされたのだろう、と切り返している。

 

④ X の歌の「宿」は、菊君が垣間見た女性のいる家を指している。Y の歌は、ここは尼の住む粗末な家であり、あなたの恋の相手となるような女性はいない、と切り返している。

 

⑤ X の歌の「夕顔」は、菊君が垣間見た女性を表している。Y の歌は、この家に若い女性は何人かいるので、いったい誰のことを指しているのか分からない、と切り返している。

 


 

問 6 この文章の登場人物に関する説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから二つ選べ。解答番号は

 

① 童は、菊君から隣家にいる女性たちの素性を問われ、蔵人のきょうだいの老尼とその娘であることを伝えつつ、娘は気位が高いので出家したのだろうとも言った。菊君から使いに行くように頼まれた時も、その真意をはかりかねたが、何かわけがあるのだろうと察して、引き受けた。

 

② 菊君は、夕暮れ時に隣家の母娘の姿を垣間見、まだ二十歳くらいの娘までも出家姿であることに驚いて興味を持ち、恋心を抱いた。出家した女性を恋い慕うことに対して罪の意識を強く感じたが、本心からの恋であるならそれも許されるだろうと考えて、娘に手紙を送ることにした。

 

③ 蔵人は、来訪した菊君に対して精一杯のもてなしをしようとつとめながらも、連絡もなくやって来たことには不満を感じていた。わざわざ用意した食事に手も付けない菊君の態度を目にしてますます不快に思ったが、他人の気持ちを(く)み取ることができない菊君をあわれだと思った。

 

④ 老尼は、ふだんは山里に住んでいるが、娘を連れて久しぶりにきょうだいの蔵人をたずね、そのまま蔵人の隣家に滞在して仏に花をささげるなどしていた。その折ちょっとした用事で蔵人のところにやって来た菊君に娘の姿を見られてしまったので、蔵人に間の悪さを責められた。

 

⑤ 老尼の娘は、二十歳くらいとたいそう年は若いが、高貴な身分から落ちぶれたことによってすっかりこの世を(いと)い、母の老尼と同様にすでに出家も果たしている。その後、仏に仕える日々を蔵人の屋敷で静かに送っていたが、菊君から歌を贈られたことで心を乱し、眠れなくなった。

 


 

 

第 4 問 
次の文章を読んで、後の問い(問1 ~ 6)に答えよ。なお、設問の都合で返り点・送り仮名を省いたところがある。 (配点 50)

 

 

 

 

問 1 波線部(ア)「蓋」、(イ)「愈」のここでの読み方として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ―つずつ選べ。解答番号は

 

 


 

問 2 傍線部(1)「千載之上」・(2)「舟車之所湊」のここでの意味として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ―つずつ選べ。解答番号は

 

 


 

問 3 傍線部A「聴雷霞於百里之外者、如盆、望江河於千里之間者、如帯、以其相去之遠也」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 聴覚と視覚とは別の感覚なので、「雷霞」は「百里」離れると小さく感じられるようになるが、「江河」は「千里」離れとそうならないということ。

 

② 「百里」や「千里」ほども遠くから見聞きしているために、「雷霞」や「江河」のように本来は大きなものも、小されるということ。

 

③ 「百里」離れているか「千里」離れているかによって、「雷霞」や「江河」をどのくらい小さく感じるかの程度が違ってくるということ。

 

④ 「百里」や「千里」<らい遠い所にいるおかげで、「雷霞」や「江河」のように危険なものも、小さく感じられて怖くなくなるということ。

 

⑤ 空の高さと陸の広さとは違うので、「雷霞」は「百里」離れるとかすかにしか聞こえないが、「江河」は「千里」でしは見えるということ。

 


 

問 4 傍線部B「登不惑乎」とあるが、筆者がそのように述べる理由は何か。「刻舟求剣」の故事に即した説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 剣は水中でどんどん(さ)びていくのに、落とした時のままの剣を見つけ出せると決めてかかっているから。

 

② 船がどれくらいの距離を移動したかを調べもせずに、目印を頼りに剣を探し出せると思い込んでいるから。

 

③ 大切なのは剣を見つけることなのに、目印のつけ方が正しいかどうかばかりを議論しているから。

 

④ 目印にすっかり安心して、船が今停泊している場所と、剣を落とした場所との違いに気づいていないから。

 

⑤ 船が動いて場所が変われば、それに応じて新しい目印をつけるべきなのに、怠けてそれをしなかったから。

 


 

問 5 傍線部C「其地之為名、訪之於古、未之聞」の返り点の付け方と書き下し文との組合せとして最も適当なものを次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

 


 

問 6 傍線部D「『遺聞』之書、所二由作一也」とあるが、『江関遺聞』が書かれた理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 江戸は大都市だが、昔から繁栄していたわけではなく、同様に、未来の江戸も今とは全く違った姿になっているはずなので、後世の人がそうした違いを越えて、事実を理解するための手助けをしたいと考えたから。

 

② 江戸は政治的・経済的な中心となっているが、今後も発展を続ける保証はないし、逆にさびれてしまうおそれさえあるので、これからの変化に備えて、今の江戸がどれほど繁栄しているかを記録に残したいと考えたから。

 

③ 江戸は経済面だけでなく、政治的にも重要な都市となったが、かつてはそうではなかったので、江戸の今と昔とを対比することで、江戸が大都市へと発展してきた過程をよりはっきり示したいと考えたから。

 

④ 江戸は大都市のうえに変化が激しく、古い情報しか持たずに遠方からやってきた人は、行きたい場所を見つけるにも苦労するので、変化に対応した最新の江戸の情報を提供し、人々の役に立ちたいと考えたから。

 

⑤ 江戸は大きく発展したが、その一方で昔の江戸の風情が失われてきており、しかもこの傾向は今後いっそう強まりそうなので、昔の江戸の様子を書き記すことで、古い風情を後世まで守り伝えたいと考えたから。

 


 

 

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