2017年大学入試センター試験問題

日本史B

日 本 史 B

(解答番号

 

  
 

 

第 1 問
次の文章A・Bは、大学生Sとその友人Tの手紙の一部である。この文章を読み、下の問い(問 1 ~ 6)に答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)(配点 16)

 

A SからTへの手紙突然の手紙で、びっくりさせたかな。実は中国に向かう船で、この手紙を書いています。前から計画していたアジアを巡る30日間 一人旅。ついに、この春休みに決行したのです。出航した昨日は a 瀬戸内 の海上で日没を迎えました。港に帰る小船の航跡、島々に灯る明かり。暗くなるまでずっと眺めていました。今朝、船は

に寄港しました。船からは、復元された天守閣や、寺院と教会が入り混じる風情ある町並みを望めます。江戸時代初めにオランダやイギリスの商館が置かれた地として、高校で習ったけれど、それ以前から大陸と往来する船が出入りしていたそうです。港の出口に小さな(ほこら)が見え、その向こうには大海が広がっています。 b 昔からいろいろな思いを胸に、海を渡る人たちがいました。その光景を想像しながら、航海の安全と一人旅の成就を願いました。日本の山や島は次第に小さくなり、やがて見えなくなります。夕方、進行方向に大きな島影が現れ、船員さんが韓国の済州(チェジュ)島だと教えてくれました。高麗王朝がモンゴルに服属したあとも、抵抗を続けた

の拠点となっ た島です。講義で習った歴史の舞台を目の当たりにして、とても感動しました。この手紙は船が着いたらすぐに投函します。いつも触れていないと落ち着かな かったスマホは、家に忘れてきてしまいました。どうなるかと思っていたけれど、全然平気。手紙を書くのも新鮮でした。君の住所を覚えていてよかったよ。

 

問1 空欄

に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① ア 平戸  イ 按司

 

② ア 平戸  イ 三別抄

 

③ ア 長崎  イ 按司

 

④ ア 長崎  イ 三別抄


 

問2 下線部 a に関連して、原始・古代から近世の瀬戸内地方について述べた文として正しいものを 次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① 縄文時代には、魚群を見張るために高地性集落がつくられた。

 

② 平安時代には、源経基が海賊らを率いて反乱を起こした。

 

③ 室町時代には主要な港で幕府や寺社などが津料を徴収した。

 

④ 江戸時代には、堤を築いて潮の干満を利用する揚浜の塩田が普及した。


 

問3 下線部 b に関して述べた次の文 X ・ Y について、その正誤の組合せとして正しいものを下の①~④のうちから一つ選べ。

 

X 留学生として隋に渡った高向玄理は、帰国後に国博士に任じられた。

 

Y 中国から渡ってきた僧の隠元隆埼(隠元)によって、日本に黄槃宗が伝えられた。

 

① X 正  Y 正

 

② X 正  Y 誤

 

③ X 誤  Y 正

 

④ X 誤  Y 誤


 

B T から S への手紙

手紙なんて本当に久しぶり。こちらも今、春休み恒例の鉄道旅行中。今回のテーマは日本海に寄り添う旅。海が見える列車にたくさん乗ることが目的です。出発直前に届いた手紙も、車中で読ませてもらいました。見聞を広めようと途中下車もしました。たとえば尼子氏と毛利氏が領有を争った港町温泉津(ゆのつ)。朝鮮から伝わった新技術によって生産量が増大した

銀山の積出し港で、船をつなぐために加工した岩も、世界遺産の一部だそうです。舞鶴では、歴史展のために集められた c 多くの写真 を見せていただきました。満州生まれの祖母から、引揚げの時にここへ上陸したことは聞いていたけど、引揚げが 10 年以上も続いたことや、舞鶴と面する日本海では、船舶の往来が頻繁にあったことなどを知ることができました。今、泊まっている

では、港の近くの神社で、奉納された和船の模型や絵馬をたくさん見せていただきました。アメリカとの通商条約で開港された

は開港される前からにぎわっていたことを はじめて知りました。旅の途中でいろいろ調べられるので、スマホはやっぱり必携品。でも、最近 SNS でのやりとりにちょっと疲れていたので、手紙っていいなと改めて思いました。 d 移動や情報伝達の手段は時代とともに変化する と思っていたけど長く続いているやり方には、それなりの良い所があるのですね。

 

問 4 空欄

と、それらの場所を示した次の地図上の位置 a ~ d と の組合せとして正しいものを 下の①~④のうちから一つ選べ。

 

① ウ a  エ c 

 

② ウ a  エ d

 

③ ウ b  エ c

 

④ ウ b  エ d


 

問5 下線部 c に関連し、T が見た次の写真Ⅰ~ Ⅲ について、古いものから年代順に正しく配列したものを次ページの①~⑥のうちから一つ選べ。

 

 

① ⅠーⅡーⅢ

 

② ⅠーⅢーⅡ

 

③ ⅡーⅠーⅢ

 

④ ⅡーⅢーⅠ

 

⑤ ⅢーⅠーⅡ

 

⑥ ⅢーⅡーⅠ


 

問6 下線部 d に関連して、古代から近代の交通や通信について述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① 古代には、中央と地方を結ぶ道路が整備され、駅家が置かれた。

 

② 中世の陸上輸送では、馬借や車借といった業者が活躍した。

 

③ 近世には、幕府の継飛脚や民間の町飛脚などが、書状を運んだ。

 

④ 近代に入ると、日本で最初の鉄道が新橋•横須賀間に敷設された。


 

第 2 問 
古代の思想・信仰と政治・社会との関係に関する次の文章 A ・ B を読み、下の問い(問1 ~ 6)に答えよ。(配点 16)

 

A 6世紀なかばに百済の聖明王から仏像や経典が伝えられると、仏教は豪族の間に次第に広まっていった。6世紀末には

氏が飛鳥寺(法興寺)を建立し、また7世紀には大王自らも寺院を造営しはじめた。こうした流れのなか、 a 7世紀後半 に開始された法典編さんの到達点として、8世紀初めに完成した律令では、僧尼に関する規則が細かく定められ仏教は国家の制度のなかに明確に位置づけられることとなった。仏教が地方社会に浸透していくうえでの一つの拠点となったのは律令制下で

として行政を担うことになる地方豪族が建てた寺院であった。そうした寺院の一つに、現在の広島県三次市にあったとされる三谷寺がある。仏教説話集『日本霊異記』によれば、百済救援の軍に加わった豪族が僧をともなって帰還し、建立したのが三谷寺であったという。 b 東アジアの変動と深くかかわりあいながら、仏教が受容されていった ことを伝えてくれる事例である。

 

問1 空欄

に入る語句の組合せとして正しいものを次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① ア 大伴   イ 国司

 

② ア 大伴   イ 郡司

 

③ ア 蘇我   イ 国司

 

④ ア 蘇我   イ 郡司


 

問2 下線部 a に関連して、7世紀後半の諸政策について述べた文として正しいものを次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① 飛鳥の地に、西大寺や大官大寺などの大寺院が建立された。

 

② 最初の全国的な戸籍である庚午年籍がつくられた。

 

③ 冠位十二階が制定され、豪族が新たな身分秩序のもとに再編された。

 

④ 大王の系譜などを採録する『旧辞』の編さんが開始された。


 

問3 下線部 b に関連して、古代における東アジア諸国からの文化や技術の受容に関して述べた次の文 a ~ d について、正しいものの組合せを、下の①~④のうちから一つ選べ。

 

a 5世紀には、進んだ技術をもつ渡来人が陵戸に編成された。

 

b 6世紀には、百済から渡来した五経博士をはじめとする諸博士が、儒教や暦法などを伝えた。

 

c 7世紀には、百済からの亡命貴族の影響もあり、漢詩文が作られるようになった。

 

d 8世紀には、遣唐使は遭難の危険が少ない朝鮮半島沿岸を通過するようになった。

 

① a . c

 

② a . d

 

③ b . c

 

④ b . d


 

B 8世紀から9世紀にかけての c あいつぐ政治抗争 を通して、政争に敗れ非業の死をとげた人々の霊(怨霊)が飢饉や疫病などのたたりをなすとの考えが形づくられた。それは、疫神をまつることで疫病から逃れようとする信仰と結びつき御霊会の開催へとつながっていった。催された御霊会では、怨霊や疫神を慰めるために読経が行われており、平穏な暮らしへの期待が仏教とも結びついていたことをうかがわせる。その一方で、10世紀頃から、この世の不安から逃れて来世で浄土に往生することを願う d 浄土信仰が、階層を問わず多くの人々の心をとらえるようになった。貴族層による大規模な阿弥陀堂の造営も行われたが.そうした造寺の背景には、 e 地方支配の変容 により権限を強化された受領の財力があった。このように、中央・地方における政治や社会の動向とかかわって、新たな信仰が形成され、人々の間に広まっていったのである。

 

問4 下線部 c に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。

 

I 造都を主導していた藤原種継が暗殺され、早良親王が首謀者として処罰された。

 

II 三筆の一人として知られる橘逸勢が、謀反を企てたとして流罪になった。

 

Ⅲ 政権を批判して九州で反乱を起こした藤原広嗣が敗死した。

 

① ⅠーⅡーⅢ

 

② ⅠーⅢーⅡ

 

③ ⅡーⅠーⅢ

 

④ ⅡーⅢーⅠ

 

⑤ ⅢーⅠーⅡ

 

⑥ ⅢーⅡーⅠ


 

問5 下線部 d に関連して、浄土信仰の興隆やその背景について述べた文として誤っているものを 次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① 末法思想が広がるなか、11世紀なかばに平等院鳳凰堂が建てられた。

 

② 空也は、京の市中で念仏を唱えて往生を説き阿弥陀信仰を広めた。

 

③ 定朝は、ー木造の技法を考案して、仏像の大量需要にこたえた。

 

④ 院政期には、豊後の富貴寺大堂など、阿弥陀堂が地方でも建てられた。


 

問6 下線部 e に関連して、9 ・ 10世紀の地方支配に関して述べた次の文 X ・ Y について、その正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

 

X 9世紀前半には、大宰府管内に公営田が設置され直営方式による財源の確保がはかられた。

 

Y 10世紀前半には、荘園整理令が発布され、記録荘園券契所(記録所)が設置された。

 

① X 正  Y 正

 

② X 正  Y 誤

 

③ X 誤  Y 正

 

④ X 誤  Y 誤


 

第 3 問
中世の政治・社会・文化に関する次の文章 A ・ B を読み、下の問い(問1 ~ 6)に答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)(配点 16)

 

A  a 鎌倉幕府の支配の基盤には将軍と御家人の間に結ばれた主従関係があった。先祖伝来の所領に対する支配を保証された御家人は、軍事的な奉仕で将軍の恩に報いた。彼らはまた、合戦での戦功によって、新たな所領を恩賞として獲得した。一族の維持、拡大をめざす彼らにとって、恩賞は大きな関心事であったから、その分配をめぐる不満が、政治に大きな影響を与えることがあった。 b 承久の乱では、御家人が後鳥羽上皇方(京方)の没収所領の地頭に任命された が、新たな没収所領が生まれなかった蒙古襲来では恩賞をめぐって武士の不満が高まった。こうした不満を押さえるため、幕府は専制政治を強めたが、かえって武士の反発を買った。そしてその結果、 c 幕府は1333年に滅亡し、建武の新政が始まった。建武の新政では、武士への論功行賞を行う機関も設置されたが、土地をめぐる武家社会の慣習を無視した政策などが原因で、武士の不満はさらに増大した。こうしたなかで、この政権は崩壊し、南北朝の内乱が始まる。

 

問1 下線部 a に関して述べた次の文 X · Y について、その正誤の組合せとして正しいものを下の①~④のうちから一つ選べ。

 

X 平氏から没収した荘園を含む関東御領は、幕府の経済基盤となった。

 

Y 守護は、天皇や将軍の御所を警護する京都大番役の催促を職務とした。

 

① X 正  Y 正

 

② X 正  Y 誤

 

③ X 誤  Y 正

 

④ X 誤  Y 誤


 

問2 下線部 b に関連して、鎌倉幕府が幕府側に味方した武士に与えた文書である次の史料に関して述べた下の文 a ~ d について、正しいものの組合せを、下の①~④のうちから一つ選べ。

 

史料
備後国地砒庄注1(じびのしょう)の事、地頭重俊(しげとし)の子息太郎、京方において死去せしむといえども同次郎(注2)、御方において合戦の忠を致しおわんぬ。しかれば重俊の地頭職相違なく安堵せしむべきの状、仰せにより下知くだんの如し(注3)

(承久 3 (1221) 年 7 月 26 日関東下知状)

(注1) 備後国地砒庄:現在の広島県にあった荘園。
(注2) 同次郎:重俊の子息である次郎。
(注3) 仰せにより下知くだんの如し:幕府の命令は以上の通りである。

 

a 次郎は、後鳥羽上皇側の味方として承久の乱に参加した。

 

b 次郎は、鎌倉幕府側の味方として承久の乱に参加した。

 

c 息子が鎌倉幕府側に味方したので、重俊は地頭職を安堵された。

 

d 息子が後鳥羽上皇側に味方したので、重俊は地頭職を没収された。

 

① a . c

 

② a . d

 

③ b . c

 

④ b . d


 

問 3 下線部 c に関連して、その前後の出来事に関して述べた次の文 Ⅰ~ Ⅲ について、古いものから年代順に正しく配列したものを下の①~⑥のうちから一つ選べ。

 

I 元に建長寺船が派遣された。

 

II 雑訴決断所が設置された。

 

Ⅲ 北畠親房が『神皇正統記』を著した。

 

① ⅠーⅡーⅢ

 

② ⅠーⅢーⅡ

 

③ ⅡーⅠーⅢ

 

④ ⅡーⅢーⅠ

 

⑤ ⅢーⅠーⅡ

 

⑥ ⅢーⅡーⅠ


 

B 長期化していた南北朝の内乱も、足利義満の時代には終息に向かった。この時期には幕府機構の整備も進み、将軍を補佐する

には、足利一門の有力守護が交替で任命された。義満は軍事•財政にも力を入れ、

とよばれる直轄軍を編成し、地方の幕府直轄領を管理させた。幕府はこの直轄領からの収入のほか、京都の金融業者や流通業者に課税し、財源としたが、その背景には、 d 地方での諸産業の発達と、それにともなう商業・流通の活発化 がある。義満の施策は宗教にもおよび、南宋の制度にならって五山の制を整えた。これは禅宗保護策であると同時に住職の任免などを通じた、幕府による仏教統制策でもあった。こうしたなかで禅宗はおおいに栄え、禅僧のなかには幕府から政治顧問として重用されたり、外交使節に任じられたりする者もいた。 e 禅宗寺院は政治、文化などさまざまな面で、中国との交流の窓口になった。

 

問4 空欄

に入る語句の組合せとして正しいものを次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① ア 執権   イ 評定衆

 

② ア 執権   イ 奉公衆

 

③ ア 管領   イ 評定衆

 

④ ア 管領   イ 奉公衆


 

問5 下線部 d に関して述べた次の文 X ・ Y と、それに該当する語句 a ~ d との組合せとして正しいものを下の①~④のうちから一つ選べ。

 

X 石清水八幡宮の保護のもと、大山崎を拠点に独占的な販売を行った。

 

Y 貨幣の需要の高まりによって粗悪な銭が流通し、良銭が求められた。

 

a 綿座

 

b 油座

 

c 撰銭

 

d 分一銭

 

① X ー a  Y ー c

 

② X ー a  Y ー d

 

③ X ー b  Y ー c

 

④ X ー b  Y ー d


 

問 6 下線部 e に関連して、室町時代の対外関係について述べた文として正しいものを次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① 朝鮮は日本に対し、倭寇の取締りを求めた。

 

② 足利義持は、朝貢形式をきらって朝鮮との関係を絶った。

 

③ 日本は書籍や陶磁器をおもに輸出し、中国から刀剣や屏風をおもに輸入した。

 

④ 水墨画が中国から伝えられ、如拙や藤原隆信らが活躍した。


 

第 4 問
近世の文化・政治・社会に関する次の文章 A ・ B を読み、下の問い(問1 ~ 6)に答えよ。(史料は、部省略したり、書き改めたりしたところもある。)(配点16)

 

A 

は本名を杉森信盛といい、1653年生まれといわれているが、幼少期のことはあまりよくわかっていない。父の杉森信義は越前吉江藩に仕える武士であったが、のち浪人となる。信盛については10代後半には京都に住み、公家に仕えていたことがわかっている。この時期の a 上方は経済先進地として栄え、かつ文化の中心でもあった。やがて彼は武士身分を捨て、宇治加賀(じょう)一座のもとで歌舞伎や浄瑠璃の作者となり、浄瑠璃の竹本義太夫や竹田出雲、歌舞伎の坂田藤十郎に作品を提供するようになった。代表作として、世話物では『曽根崎心中』『心中天網島』、時代物では『国性爺合戦』などがある。『国性爺合戦』は、日本で生まれた鄭成功が中国大陸へ渡り、滅亡した

の再興をめざし、日本に援兵を要請したという史実を題材にした作品である。規模が壮大で異国情緒もあり、人気を博した。当時は上方を中心に、彼に代表される文芸をはじめとして、芸能や学問、b 美術工芸 など多彩な文化が発展した。

 

問1 空欄 

に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① ア 井原西鶴   イ 明

 

② ア 井原西鶴   イ 清

 

③ ア 近松門左衛門   イ 明

 

④ ア 近松門左衛門   イ 清


 

問2 下線部 a に関連して、近世の上方について述べた文として正しいものを次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① 京都の豪商である末次平蔵は、富士川や賀茂川の整備を行った。

 

② 元禄期には大坂堂島の十組問屋が、幕府に公認された。

 

③ 上方で生産された漿油が、幕末まで江戸の市場を独占した。

 

④ 蝦夷地や日本海側の産物が、北前船で上方へ運ばれた。


 

問3 下線部 b に関連して、次の作品 X ・ Y とそれに該当する作者名 a ~ d との組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。



 

B 1787 (天明7)年は、政治・社会に関する大きな変動が起きた年である。

が老中に就任し、いわゆる「寛政の改革」が始まった。この年、 c 江戸や大坂など多くの都市で、商家が襲われる打ちこわしが発生し、数年来の飢饉により各地で多発した百姓一揆とあいまって、社会不安が増大していた。京都では困窮民が天皇の御所の周囲を拝礼してまわるという事態が発生した。当時朝廷は幕府の統制下にあって政治的発言をすることは難しかったが、政治や社会に深い関心をもっていた光格天皇は幕府に対し、困窮民の救済を打診するとい う異例の対応を行った。同じく1787年に行われた光格天皇の大嘗祭では、古い儀式が数多く再興された。これは、武家政権成立以前の天皇像を理想とする、光格天皇の君主意識のあらわれとされる。この天皇は、のちに幕府との間で

を引き起こし、対立することもあった。 d 尊王思想が興隆 するなか、朝廷をめぐる新たな動きもみえはじめた年といえよう。

 

問4 空欄

に入る語句の組合せとして正しいものを次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① ウ 松平定信  エ 工尊号一件(事件) 

 

② ウ 松平定信  エ 工紫衣事件

 

③ ウ 水野忠邦  エ 工尊号一件(事件)

 

④ ウ 水野忠邦  エ 工紫衣事件


 

問5 下線部 c に関連して、次の史料は、1787年の江戸の打ちこわしの際に、先手(さきて)組に出された指示である(『御触書天明集成』)。この史料に関して述べた下の文 X · Y について、その正誤の組合せとして正しいものを下の①~④のうちから一つ選べ。

 

史料

御先手(注1)長谷川平蔵(ほか9名略)

町方騒々しき趣相聞え候に付、組のもの(注2)召し連れ、今日より相廻(まわ)り、暴れ候ものども召し捕え、町奉行へ相渡さるべく候、(もっと)も手にあまり候はば、切捨てに致し候ても苦しからず候間、(その)趣心得らるべく候(略)

 

(注1) 先手:先手組のこと。幕府の軍事部門(番方)のー組織で、江戸城・将軍の警備や江戸の治安維持を担当。
(注2) 組のもの:長谷川平蔵らが率いる与カ・同心。

 

X 先手組に、江戸市中の見回りをするよう指示している。

 

Y 逮捕した者を町奉行所に引き渡すように先手組に命じている。

 

① X 正  Y 正

 

② X 正  Y 誤

 

③ X 誤  Y 正

 

④ X 誤  Y 誤


 

問6 下線部 d に関して述べた次の文Ⅰ~ Ⅲ について、古いものから年代順に正しく配列したものを下の①~⑥のうちからつ選べ。

 

I 宝暦事件において、京都で公家に尊王論を説いた竹内式部が追放された。

 

Ⅱ 藤田東湖・会沢安(正志斎)らが、尊王攘夷論を説いた。

 

Ⅲ 明和事件で、幕政を批判し尊王論を説いた山県大弐が死罪となった。

 

① ⅠーⅡーⅢ

 

② ⅠーⅢーⅡ

 

③ ⅡーⅠーⅢ

 

④ ⅡーⅢーⅠ

 

⑤ ⅢーⅠーⅡ

 

⑥ ⅢーⅡーⅠ


 

第 5 問
幕末から明治期の大坂(大阪)に関する次の文章を読み、下の問い(問1 ~ 4)に答えよ。(配点 12)

 

近世の大坂は、諸藩の蔵屋敷が置かれ、全国的な商業・金融の中心として栄え、幕末には京都とともに政治の主要な舞台となった。1863年以降は、西上した将軍

が大坂城や京都の二条城に滞在し、長州征討(長州戦争)では多数の幕府方の軍が大坂の町家・寺院に駐留して、民衆の生活を圧迫した。特に1866年には凶作とあいまって米価が高騰し a 民衆は多くの米屋を襲った。また同年に

が大坂城で病死し、将軍職を継いだ徳川慶喜も同城で政務を執った。新政府の成立直後に、 b 大久保利通 が大阪への遷都を唱えた。これは、即位したばかりの

を守旧的な公家から引き離すことに加え、大阪の海陸交通の便利さも重視してのことであった。しかし、大阪への遷都は行われず、明治初年の大阪経済は、新政府による多額の御用金賦課.諸藩債務の破棄やその返済の長期化、蔵屋敷の廃止などで打撃を受けた。その後、 c 薩摩出身の五代友厚や各地からの実業家と在来の大阪商人 とが協力して、大阪商法会議所を創設し、大阪経済は復興していった。

 

問1 空欄

に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① ア 徳川家定  イ 孝明天皇

 

② ア 徳川家定  イ 明治天皇

 

③ ア 徳川家茂  イ 孝明天皇

 

④ ア 徳川家茂  イ 明治天皇


 

問2 下線部 a に関連して、幕末期の民衆の動きに関して述べた次の文 X · Y について、その正誤の組合せとして正しいものを下の①~④のうちから一つ選べ。

 

X 各地で、世直しを求める大規模な一揆が発生した。

 

Y 「ええじゃないか」とよばれる民衆の乱舞が流行した。


 

問3 下線部 b について述べた文として正しいものを次の①~④のうちから選べ。

 

① 幕末期に、木戸孝允とともに長州藩の中で実権を握った。

 

② 岩倉使節団を送り出したあとの国内政治を担当した。

 

③ 警察や地方行政などを管轄する内務省を設置した。

 

④ 西郷隆盛と大阪会議を開き漸進的な国会開設方針を決めた。


 

問4 下線部 c に関連して、明治期の政商や実業家に関して述べた文として誤っているものを次の①~④のうちからつ選べ。

 

① 新政府から特権を得た住友は、三池炭鉱の払い下げをうけた。

 

② 五代友厚は、開拓使の官有物の払い下げをうけようとした。

 

③ 岩崎弥太郎は、海運業に参入し、三菱財閥の基礎を築いた。

 

④ 古河市兵衛は、足尾銅山を取得して、鉱山業を営んだ。


 

第 6 問
近現代の公園に関する次の文章A~Cを読み、下の問い(問 1 ~ 8)に答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)(配点 24)

 

A 2008年末、日比谷公園(東京都千代田区)で年越し派遣村が開設され、失業者に対する炊き出しや職業相談などが行われた。失業問題や貧困問題を政治課題として表面化させたこの取組みは、大きく報じられた。1903 年に開園した日比谷公園は、当初から政治的なメッセ ジを発信する場として、様々な事件の舞台となった。日露講和条約に反対した民衆による焼打ち事件のほか、1952年には日比谷公園から皇居前広場に向かったデモ隊が、警官隊と衝突する

が発生した。1929 年、公園内に建設された a 日比谷公会堂 は、政治演説会や音楽鑑賞の場を市民に提供した。公会堂では1960 年に日本社会党の浅沼稲次郎が演説中に b 刺殺される事件 が起こっている。また、日比谷公園は近代国家日本の発展を祝い、国民意識を醸成する空間でもあった。たとえば戦争に際しては、シンガポール陥落 (1942 年)の祝勝会が開かれている。さらに

発布二十周年記念祝賀会(1909 年)や東京羹蔀(注)五十年祭 (1919 年)の会場にもなった。

 

(注) 莫都:都をその地に定めること。

 

問1 空欄

に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① ア 血のメーデー事件(メーデー事件)  イ 普通選挙法

 

② ア 血のメーデー事件(メーデー事件)  イ 憲法

 

③ ア 三・一五事件  イ 普通選挙法

 

④ ア 三・一五事件  イ 憲法


 

問2 下線部 a に関連して、日比谷公会堂で開催された催事に関する次の新聞記事と広告Ⅰ~ Ⅲ について、古いものから年代順に正しく配列したものを下の①~⑥のうちから一つ選べ。

 

① ⅠーⅡーⅢ

 

② ⅠーⅢーⅡ

 

③ ⅡーⅠーⅢ

 

④ ⅡーⅢーⅠ

 

⑤ ⅢーⅠーⅡ

 

⑥ ⅢーⅡーⅠ


 

問 3 下線部 b に関連して、近代日本の要人殺害事件について述べた次の文 X ・ Y と、それに該当する語句 a ~ d との組合せとして正しいものを下の①~④のうちから一つ選べ。

 

X 初代韓国統監をつとめたこの人物は、ハルビン駅で安重根に殺害された。

 

Y この事件では、三井合名会社理事長の団琢磨(琢磨)らが殺害された。

 

a 原敬

 

c 虎ノ門事件(虎の門事件)

 

b 伊藤博文

 

d 血盟団事件

 

① X ー a  Y ー c

 

② X ー a  Y ー d

 

③ X ー b  Y ー c

 

④ X ー b  Y ー d


 

B 公園は、新たな技術や文化との出会いの場でもあった。上野公園(東京都台東区)では第1回内国勧業博覧会(1877年)が開かれ、機械• 美術品などが展示された。 公園を舞台とした勧業博は、日本の産業・文化の近代化に貢献し c 工業国家日本の出発を示すものとなった。天王寺公園(大阪府大阪市)の地で開かれた第5回内国勧業博覧会(1903年)では建物を装飾したイルミネー ション、5色にライトアップされた大噴水、エレベータなどが人気を集めた。この博覧会では、下の図に描かれているように、電気という科学技術の成果が来場者に強い印象を与え、 d その様子は出版物を通じて人々に伝えられた。 出品物の過半は工業関係が占めたが、農業関係でも e 米穀自給率低下が問題とされた当時の情勢において、生産技術改良に積極的に取り組んだ 千葉県農会の事績が表彰された。

 

問4 下線部 c に関して述べた次の文 X ・ Y と、それに該当する場所 a ~ d との組合せとして正しいものを下の①~④のうちから一つ選べ。

 

X 三菱に払い下げられたこの地の造船所は、大規模造船に取り組み、日清戦争後の日本の造船業を牽引した。

 

Y 八幡製鉄所は、この地から産出する鉄鉱石を原材料として利用した。

 

a 兵庫

 

b 長崎

 

c 大冶

 

d 筑豊

 

① X ー a  Y ー c

 

② X ー a  Y ー d

 

③ X ー b  Y ー c

 

④ X ー b  Y ー d


 

問5 下線部 d に関連して、明治期の出版や文化について述べた文として正しいものを次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① 『中央公論』に掲載された民撰議院設立建白書は、自由民権運動が広がるきっかけとなった。

 

② 新聞紙条例にもとづき、横浜毎日新聞が創刊された。

 

③ 北村透谷は『文学界』の誌上で、人間の感情を重視するロマン主義を説いた。

 

④ 大衆娯楽雑誌として『キング』が創刊され、多くの読者を獲得した。


 

問6 下線部 e に関連して、米の生産に関する統計(10年ごとの平均値)の動向を示した次の表に関して述べた下の文 X ・ Y について、その正・誤の組合せとしてしいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

 

米の生産に関する統計(10年ごとの平均値)

 

米生産量
(1,000t)

田耕地面積
(1,000 ha)

1 ha あたり
米生産量(kg)

1881-1890年 4.990 2.660 1.876
1891-1900年 5.972 2.685 2.224
1901-1910年 6.917 2.819 2.454
1911-1920年 8.104 2.950 2.747

(アジア経済研究所編『日本農業100年 農林水産業累年統計表』により作成)
(注) 小数点以下は四捨五入。

 

X 1 haあたり米生産量の増加率は、田耕地面積の増加率よりも高い。

 

Y 1901年以降の米生産量の上昇は、農業協同組合(農協)のもとで推進された機械化の結果である。

 

① X 正  Y 正

 

② X 正  Y 誤

 

③ X 誤  Y 正

 

④ X 誤  Y 誤


 

C 公園のなかには、国家がさまざまな節目や行事を記念して設置したものがある。たとえば1965年に開園した水元公園(東京都葛飾区)の歴史は、1940年の「紀元二千六百年奉祝典」をきっかけとした水元緑地の計画にさかのぼることができる。このときの「奉祝典」は、 f 国体精華(注)を発揮」して国難を克服することを呼びかけて挙行され、各地で記念行事が行われた。1968年には、佐藤栄作内閣が明治百年記念式典を開催して、日本の近代化の成果をたたえた。これにともない、国土の緑化や歴史の保存・顕彰などの記念事業が、全国各地で実施された。このとき建設省は、全国で10か所の「明治百年記念森林公園」を指定した。 g 維新百年記念公園(山口県山口市) や、佐賀県立森林公園(佐賀県佐賀市)などが、これにあたる。
(注) 精華:すぐれたところ。

 

問7 下線部 f に関して述べた文として正しいものを次の①~④のうちから一つ選べ。

 

① 陸軍省は『国体の本義』を刊行して、国民に向けて国体の尊厳を説いた。

 

② 治安維持法は、国体の変革と共産主義否認を目的とする結社を禁止した。

 

③ 田中義一内閣は治安維持法を改正し、最高刑を死刑へと引き上げた。

 

④ ポツダム宣言には国体護持を保証する条件が記されていた。


 

問8 下線部 g に関連して、長州藩出身者が組織した内閣に関して述べた次の文Ⅰ~ Ⅲ について、古いものから年代順に正しく配列したものを下の①~⑥のうちから一つ選べ。

 

I 寺内正毅内閣が、軍隊を出動させて米騒動を鎮圧した。

 

II 桂太郎内閣が、大逆事件を契機に社会主義者を弾圧した。

 

Ⅲ 山県有朋内閣が、軍部大臣現役武官制を定めた。

 

① ⅠーⅡーⅢ

 

② ⅠーⅢーⅡ

 

③ ⅡーⅠーⅢ

 

④ ⅡーⅢーⅠ

 

⑤ ⅢーⅠーⅡ

 

⑥ ⅢーⅡーⅠ


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