2017年大学入試センター試験問題



国語 解答 第1問 問1~6正解

第 1 問
次の文章は、2002年に刊行された科学論の一節である。これを読んで、後の問い(問1 ~ 6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に①~⑬番号に付してある。
また、表記を一部改めている。(配点 50)

 

現代社会は科学技術に依存した社会である。近代科学の成立期とされる十六世紀、十七世紀においては、そもそも[科学]という名称で認知されるような知的活動は存在せず、伝統的な自然哲学の一環としての、一部の好事家による楽しみの側面が強かった。しかし、十九世紀になると、科学研究は[科学者]という職業的専門家によって各種高等教育機関で営まれる知識生産へと変容し始める。既存の知識の改訂と拡大のみを生業とする集団を社会に組み込むことになったのである。さらに、二十世紀になり、国民国家の競争の時代になると、科学は技術的な威力と結びつくことによって、この競争の重要な戦力としての力を発揮し始める。二度にわたる世界大戦が科学ー技術の社会における位置づけを決定的にしていったのである。

 

第二次世界大戦以後、科学技術という営みの存在は膨張を続ける。プライス(注 1 )によれば、科学技術という営みは十七世紀以来、十五年で(ア)バイゾウするという速度で膨張してきており、二十世紀後半の科学技術の存在はGNP(注2)の二パーセント強の投資を要求するまでになってきているのである。現代の科学技術は、かつてのような思弁的、宇宙論的伝統に基づく自然哲学的性格を失い、A 先進国の社会体制を維持する重要な装置となってきている。

 

十九世紀から二十世紀前半にかけては科学という営みの規模は小さく、にもかかわらす技術と結びつき始めた科学ー技術は社会の諸問題を解決する能力を持っていた。「もっと科学を」というスローガンが説得力を持ち得た[所以(ゆえん)]である。しかし二十世紀後半の科学ー技術は両面価値的存在になり始める。現代の科学ー技術では、自然の仕組みを解明し、宇宙を説明するという営みの比重が下がり、実験室の中に天然では生じない条件を作り出し、そのもとでさまざまな人工物を作り出すなど、自然に介入し、操作する能力の開発に重点が移動している。その結果、永らく人類を脅かし苦しめてきた病や災害といった自然の脅威を制御できるようになってきたが、同時に、科学ー技術の作り出した人工物が人類にさまざまな災いをもたらし始めてもいるのである。科学ー技術が恐るべき速度で生み出す新知識が、われわれの日々の生活に商品や製品として放出されてくる。いわゆる「環境ホルモン(注3 )」や地球環境問題、先端医療、情報技術などがその例である。B こうして「もっと科学を」というスローガンの説得力は低下し始め、「科学が問題ではないか」という新たな意識が社会に生まれ始めているのである。

 

しかし、科学者は依然として「もっと科学を」という発想になじんでおり、このような「科学が問題ではないか」という問いかけを、科学に対する無知や誤解から生まれた情緒的反発とみなしがちである。ここからは、素人の一般市民への科学教育の充実や、科学啓蒙(けいもう)プログラムの展開という発想しか生まれないのである。

 

このような状況に一石を投じたのが科学社会学者の「コリンズ(注4)」とピンチの{ゴレム}である。ゴレムとはユダヤの神話に登場する怪物である。人間が水と土から創り出した怪物で、魔術的力を備え、日々その力を増加させつつ成長する。人間の命令に従い、人間の代わりに仕事をし、外敵から守ってくれる。しかしこの怪物は不器用で危険な存在でもあり、適切に制御しなければ主人を破壊する威力を持っている。コリンズとピンチは、現代では、科学が、全面的に悪なる存在かのどちらかのイメージに引き裂かれているという。そして、このような分裂したイメージを生んだ理由は、科学が実在と直結した無謬(むびゅう)の知識という神のイメージで捉えられてきており、科学が自らを実態以上に美化することによって過大な約束をし、それが必ずしも実現しないことが幻滅を生み出したからだという。つまり、全面的に善なる存在というイメージが科学者から振りまかれ、他方、チェルノブイリ(注5 )事故や狂犬病(注6)に象徴されるような事件によって科学への幻滅が生じ、一転して全面的に悪なる存在というイメージに変わったというのである。

 

コリンズとピンチの処方箋は、科学者が振りまいた当初の「実在と直結した無謬の知識という神のイメージ」を科学の実態に即した「不確実で失敗しがちな向こう見ずでへまをする巨人のイメージ」、つまりC ゴレムのイメージに取りかえることを主張したのである。そして、科学史から七つの具体的な実験をめぐる論争を取り上げ、近年の科学社会学研究に基づくケーススタディーを提示し、科学上の論争の終結がおよそ科学哲学者が想定するような論理的、方法論的決着ではなく、さまざまなヨウ「(イ)イン」が絡んで生じていることを明らかにしたのである。

 

彼らが扱ったケーススタディーの一例を挙げよう。一九六九年に「ウエーバー(注7)」が、十二年の歳月をかけて開発した実験装置を用いて、「重力波(注8)」の測定に成功したと発表した。これをきっかけに、追試をする研究者があらわれ、重力波の存在をめぐって論争となったのである。この論争において、実験はどのような役割を果たしていたかという点が興味深い。追試実験から、ウェーバーの結果を否定するようなデータを手に入れた科学者は、それを発表するかいなかという選択の際に「(ウ)ヤッ」カイな問題を抱え込むのである。否定的な結果を発表することは、ウェーバーの実験が誤りであり、このような大きな値の重力波は存在しないという主張をすることになる。しかし、実は批判者の追試実験の方に不備があり、本当はウェーバーの検出した重力波が存在するということが明らかになれば、この追試実験の結果によって彼は自らの実験能力の低さを公表することになる。

 

学生実験の場合には、実験をする前におおよそどのような結果になるかがわかっており、それと食い違えば実験の失敗がセン「(エ)コク」される。しかし現実の科学では必ずしもそのようなことが進まない。重力波の場合、どのような結果になれば実験は成功といえるかがわからないのである。重力波が検出されれば、実験は成功なのか、それとも重力波が検出されなければ、実験は成功なのか。しかしまさに争点は、重力波が存在するかどうかであり、そのための実験なのである。何が実験の成功といえる結果なのかを、前もって知ることはできない。重力波が存在するかどうかを知るために、「優れた検出装置を作らなければならない。しかし、その装置がなければ、何が適切な結果かということはわからない・・・・」。コリンズとピンチはこのような循環を「実験家の悪循環」と呼んでいる。

 

重力波の論争に関しては、このような悪循環が生じ、その存在を完全に否定する実験的研究は不可能であるにもかかわらず(存在、非存在の可能性がある)、結局、有力科学者の否定的発言をきっかけにして、科学者の意見が雪崩を打って否定論に傾き、それ以後、「重力波(注9)」の存在は明確に否定されたのであった。つまり、論理的には重力波の存在もしくは非存在を実験によって決着をつけられていなかったが、科学者共同体の判断は、非存在の方向で収束したということである。

 

コリンズとピンチは、このようなケーススタディーをもとに、「もっと科学を」路線を批判するものである。民主主義国家の一般市民は確かに、原子力発電所の建設をめぐって、あるいは遺伝子組み換え食品の是非についてなどさまざまな問題に対して意思表明をし、決定を下さなければならない。そしてそのためには、一般市民に科学に「ついての」知識ではなく、科学知識そのものを身につけさせるようにすべきだ、と主張される。しかしこのような論争を伴う問題の場合には、どちらの側にも科学者や技術者といった専門家がついているではないか。そしてこの種の論争が、専門家の間でさえ、ケーススタディーが明らかにしたように、よりよい実験やさらなる知識、理論の発展あるいはより明晰(めいせき)な思考などによっては必ずしも短期間に解決できないのであり、それを一般市民に期待するなどという点では、異議はないが、伝えるべきことは、科学の内容ではなく、専門家と政治やメディア、そしてわれわれとの関係についてなのだ、と。

 

科学を「実在と直結した無謬の知識という神のイメージ」から「ゴレムのイメージ」(「ほんとうの」姿)でとらえなおそうという主張は、科学を一枚岩とみなす発想を掘り崩す効果をもっている。そもそも、高エネルギー物理学、ヒトゲノム計画、古生物学、工業化学などといった一見して明らかに異なる領域をひとしなみに「科学」なぜ呼べるのであろうか、という問いかけをわれわれは真剣に考慮する時期にきている。

 

Dにもかかわらず、この議論の仕方には問題がある。コリンズとピンチは、一般市民の科学観が「実在と直結した無謬の知識という神のイメージ」であり、それを「ゴレム」に取り替えよ、それが科学の「ほんとうの」姿であり、これを認識すれば、科学至上主義の裏返しの反科学主義という病理は「(オ)イ」やされるという。しかし、「ゴレム」という科学イメージはなにも科学社会学者が初めて発見したものではない。歴史的にはポピュラーなイメージといってもよいであろう。メアリー・シェリーが『フランケンシュタインあるいは現代のプロメテウス』を出版したのは一八一八年のことなのである。その後も、スティーブンソンの『ジギル博士とハイド氏』、H・G・ウェルズの『モロー博士の島』さらにはオルダス・ハクスリーの『すばらしき新世界』など、科学を怪物にたとえ、その暴走を危惧するような小説は多数書かれており、ある程度人口に膾炙(かいしゃ)していたといえるからである。

 

結局のところ、コリンズとピンチは科学者の一枚岩という「神話」を掘り崩すのに成功はしたが、その作業のために、「一枚岩の」一般市民という描像を前提にしてしまっている。一般市民は一枚岩的に「科学は一枚岩」だと信じている、と彼らは認定しているのである。言いかえれば、科学者はもちろんのこと、一般市民も科学の「ほんとうの」姿を知らないという前提である。では誰が知っているのか。科学社会学者という答えにならざるを得ない。科学を正当に語る資格があるのは誰か、という問いに対して、コリンズとピンチは「科学社会学者である」と答える構造の議論をしてしまっているのである。

(小林傳司「科学コミニュケーション」による)

 

(注)
1 プライス ーーー デレク・プライス(一九二二年~一九八三年)。物理学者・科学史家。

 

2 GNP ーーー 国民総生産(Gross Nationa Product)。GNI(国民総所得 Gross National Income)に同じ。

 

3 環境ホルモン ーーー 環境中の科学物質で、生体内でホルモンのように作用して内分泌系をかく乱するとされるものの通称。作用については未解明の部分が多い。

 

4 コリンズとピンチ ーーー ハリー・コリンズ(一九四三年~ )とトレヴァー・ピンチ(一九五二年~ )のこと。『コレム』は、一九九三年に刊行された共著である。

 

5 チェルノブイリ原発 ーーー (一九八六年四月二十六日、旧ソ連にあったチェルノブイリ原子力発電所の四号炉で起きた溶解、爆発事故のこと。

 

6 狂牛病 ーーー BSE(Bovine Spongiform Encephathy ウシ海綿状脳症)。牛の病気。脳がスポンジ状になって起立不能に陥り、二週間から半年で死に至る。病原体に感染した家畜の肉や骨から製造された人工飼料(肉骨粉)によって発症・感染した可能性が指摘されている。一九八六年、イギリスで最初の感染牛が確認された。

 

7 ウェーバ ーーー ジョセフ・ウェーバー(一九一九年~二〇〇〇年)。物理学者。

 

8 重力波 ーーー 時空のゆがみが波となって光速で伝わる現象。一九一六年にアインシュタインがその存在を予言していた。

 

9 重力波の存在は明確に否定された ーーー ウェーバーによる検出の事実は証明されなかったが、二〇一六年、アメリカの研究チームが直接検出に成功したと発表した。

 

問1 傍線部(ア) ~ (オ)に相当する漢字を含むものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。解答番号は

 

 

問 2 傍線部 A 「先進国の社会体制を維持する重要な装置となってきている」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 現代の科学は、伝統的な自然哲学の一環としての知的な楽しみという性格を失い、先進国としての威信を保ち対外的に国力を顕示する手段となることで、国家の莫大(ばくだい)な経済的投資を要求する主要な分野へと変化しているということ。

 

② 現代の科学は、自然の仕組みを解明して宇宙を説明するという本来の目的から離れて、人々の暮らしを自然災害や疾病から守り、生活に必要な製品を生み出すことで、国家に奉仕し続ける任務を担うものへと変化しているということ。

 

③ 現代の科学は、「科学者」という職業的専門家による小規模な知識生産ではなくなり、為政者の厳重な管理下に置かれる国家的な事業へと拡大することで、先進国間の競争の時代を継続させる戦略の柱へと変化しているということ。

 

④ 現代の科学は、「もっと科学を」というスローガンが説得力を持っていた頃の地位を離れ、世界大戦の勝敗を決する戦力を生み出す技術となったことで、経済大国が国力を向上させるために重視する存在へと変化しているということ。

 

⑤ 現代の科学は、人間の知的活動という側面を薄れさせ、自然に介入しそれを操作する技術により実利的成果をもたらすことで、国家間の競争の中で先進国の体系的な仕組みを持続的に支える不可欠な要素へと変化しているということ。

 

問 3 傍線部 B 「こうして『もっと科学を』というスローガンの説得力は低下し始め、『科学が問題ではないか』という新たな意識が社会に生まれ始めているのである。」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 二十世紀前半までの科学は、自然の仕組みを知的に解明するとともに自然の脅威と向き合う手段を提供したが、現代における技術と結びついた科学は、自然に介入しそれを操作する能力の開発があまりにも急激で予測不可能となり、の前途に対する明白な警戒感が生じつつあるということ。

 

② 二十世紀前半までの科学は、自然哲学的な営みから発展して社会の諸問題を解決する能力を獲得したが、現代における技術と結びついた科学は、研究成果を新商品や新製品として社会ヘ一方的に放出する営利的な傾向が強まり‘その傾向に対する顕著な失望感が示されつつあるということ。

 

③ 二十世紀前半までの科学は、日常の延長上で自然の仕組みを解明することによって社会における必要度を高めたが、現代における技術と結びついた科学は、実験室の中で天然では生じない条件の下に人工物を作り出すようになり、その方法に対する端的な違和感が高まりつつあるということ。

 

④ 二十世紀前半までの科学は、その理論を応用する技術と強く結びついて日常生活に役立つものを数多く作り出したが、現代における技術と結びついた科学は‘その作り出した人工物が各種の予想外の災いをもたらすこともあり、その成果に対する全的な信頼感が揺らぎつつあるということ。

 

⑤ 二十世紀前半までの科学は、一般市民へ多くの実際的な成果を示すことによって次の段階へと貪欲に進展したが、現かいり代における技術と結びついた科学は、その新知識が市民の日常的な生活感覚から次第に乖離するようになり、その現状に対する漠然とした不安感が広がりつつあるということ。

 

問 4 傍線部 C 「ゴレムのイメージに取りかえることを主張したのである」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 全面的に善なる存在という科学に対する認識を、超人的な力を増加させつつ成長するがやがて人間に従属させるこが困難になる怪物ゴレムのイメージで捉えなおすことで、現実の科学は人間の能力の限界を超えて発展し続け将来は人類を窮地に陥れる脅威となり得る存在であると主張したということ。

 

② 全面的に善なる存在という科学に対する認識を、水と土から産み出された有益な人造物であるが不器用な面を持ちあわせている怪物ゴレムのイメージで捉えなおすことで、現実の科学は自然に介入し操作できる能力を獲得しながらもその成果を応用することが容易でない存在であると主張したということ。

 

③ 全面的に善なる存在という科学に対する認識を、魔術的力とともに日々成長して人間の役に立つが欠陥が多く危険な面も備える怪物ゴレムのイメージで捉えなおすことで、現実の科学は新知識の探求を通じて人類に寄与する一方で制困難な問題も引き起こす存在であると主張したということ。

 

④ 全面的に善なる存在という科学に対する認識を、人間の手で創り出されて万能であるが時に人間に危害を加えて失させる面を持つ怪物ゴレムのイメージで捉えなおすことで、現実の科学は神聖なものとして美化されるだけでなく時には幻滅の対象にもなり得る存在であると主張したということ。

 

⑤ 全面的に善なる存在という科学に対する認識を、主人である人間を守りもするがその人間を破壊する威力も持つ怪物ゴレムのイメージで捉えなおすことで、現実の科学は適切な制御なしにはチェルノブイリ事故や狂牛病に象徴される件を招き人類に災いをもたらす存在であると主張したということ。

 

問 5 傍線部 D 「にもかかわらず、この議論の仕方には問題がある。」とあるが、それはなぜか。その理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① コリンズとピンチは、「ゴレム」という科学イメージを利用することによって、初めて科学の「ほんとうの」姿を提示科学至上主義も反科学主義も共に否定できたとするが、それ以前の多くの小説家も同様のイメージを描き出すことで、一枚の岩のように堅固な一般市民の科学観をたびたび問題にしてきたという事実を、彼らは見落としているから。

 

② コリンズとピンチは、さまざまな問題に対して一般市民自らが決定を下せるように、市民に科学をもっと伝えるべきだと主張してきたが、原子力発電所建設の是非など、実際の問題の多くは「科学者」という職業的専門家の間でも簡単に解決できないものであり、単に科学に関する知識を伝えるだけでは、市民が適切に決定を下すには十分でないから。

 

③  コリンズとピンチは、科学を裂け目のない一枚の岩のように堅固なものと見なしてきたそれまでの科学者を批判し、古生物学、工業化学などといった異なる領域を一括りに「科学」と呼ぶ態度を疑問視しているが、多くの市民の生活感覚からすれば科学はあくまでも科学であって、実際には専門家の示す科学的知見に疑問を差しはさむ余地などないから。

 

④ コリンズとピンチは、歴史的にポピュラーな「ゴレム」という科学イメージを使って科学は無謬の知識だという発想批判したが、科学者と政治家やメディア、そして一般市民との関係について人々に伝えるべきだという二人の主張も、一般市民は科学の「ほんとうの」姿を知らない存在だと決めつける点において、科学者と似た見方であるから。

 

⑤ コリンズとピンチは、これまでの科学者が振りまいた一枚の岩のように堅固な科学イメージを突き崩すのに成功したが、彼らのような科学社会学者は、科学に「ついての」知識の重要性を強調するばかりで、科学知識そのものを十分に身につけていないため、科学を正当に語る立場に基づいて一般市民を啓蒙していくことなどできないから。

 

問 6 この文章の表現と構成・展開について、次の(i)・(ii)の問いに答えよ。

 

(i) この文章の第1 ~ 8段落の表現に関する説明として適当でないものを、次の①~④のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 第1段落の「『科学者』という職業的専門家」という表現は、「科学者」が二十世紀より前の時代では一般的な概なかったということを、かぎ括弧をつけ、「という」を用いて言いかえることによって示している。

 

② 第5段落の「このような状況に一石を投じた」という表現は、コリンズとピンチの共著『コレム』の主張が当時の状況に問題を投げかけ、反響を呼んだものとして筆者が位置づけているということを、慣用句によって示している。

 

③ 第6段落の「コリンズとピンチの処方箋」という表現は、筆者が当時の状況を病理と捉えたうえで、二人の主張が極端な対症療法であると見なされていたということを、医療に関わる用語を用いたたとえによって示している。

 

④  第8段落の「優れた検出装置を~。しかし ~わからない。しかし ~わからない……」という表現は、思考が循環してしまっているということを、逆接の言葉の繰り返しと末尾の記号によって示している。

 

(ii) この文章の構成・展開に関する説明として適当でないものを、次の①~④のうちから―つ選べ。解答番号は

 

① 第1 ~ 3段落では十六世紀から二十世紀にかけての科学に関する諸状況を時系列的に述べ、第 4 段落ではその諸状況が科学者の高慢な認識を招いたと結論づけてここまでを総括している。

 

② 第5 ~ 6段落ではコリンズとピンチの共著『コレム』の趣旨と主張をこの文章の論点として提示し、第7 ~ 9段落で彼らの取り上げたケーススタディーの一例を紹介している。

 

③ 第 10 段落ではコリンズとピンチの説明を追いながら彼らの主張を確認し、第 11 段落では現代の科学における多様な領域の存在を踏まえつつ、彼らの主張の意義を確認している。
④ 第 12 段落ではコリンズとピンチの議論の仕方に問題のあることを指摘した後に具体的な事例を述べ、第 13 段落ではコリンズとピンチの主張の実質を確認して、筆者の見解を述べている。

 

 

 

 

 

 

設問 解答番号 正解 配点
1 1 5 2
2 5 2
3 3 2
4 1 2
5 4 2
2 6 5 8
3 7 4 8
4 8 3 8
5 9 4 8
6 10 3 4
11 1 4

 

 

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